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表統領の「これからの道の歩み」はコペルニクス的転回を実現するか
過日『みちのとも』6月号に掲載された両統領のインタビュー記事について『みちのとも6月号を読んで ー数値化されないものの価値と陽気ぐらしー 』で触れました。
あのインタビューを初めて読んだとき、なんとも言えない違和感をもったのですが、つらつら考えるに2年前の表統領の談話「これからの道の歩み」とのギャップがその原因だったと気づきした。
それについてちょっと書いてみます。
インタビューに先立つこと約2年、表統領は「これからの道の歩み」と題したお話しをしています。このお話は後に『みちのとも』にも掲載されましたが、それ以前に私のブレインであるDr.LEEがその談話を文字起こししたものを読みました。こちらの方が『みちのとも』に掲載された内容ものよりも表統領の思いに忠実ですので、その要旨を記してみます。
教祖100年祭後、バブル経済が崩壊し、少子高齢化時代へ突入した。更に核家族化が加速し未婚や離婚の増加によって家族観も大きく変化した。またIT技術が飛躍的に進み、人々の考え方にも大きな変化が起きている。
こうした社会の変化に呼応するかのように教勢は下降線を描き始めた。
少子高齢化、核家族化、未婚や離婚の増加、家族観の変化は縦の伝道の旧来からのあり方に大きく影響したが、そうした変化を感じながらも、我々はこれまでの形で布教活動や丹精を進めてきた。
しかし宗教に対する世間の価値観が変化する中、伝統を踏襲するだけの活動が通用しなくなるのはむしろ当然のことであった。
とはいえ長年やってきたことを切り替えるにはその必要性を共通認識とすることと、思い切った勇気と莫大な手間と根気が必要であった。
今では「もうこのままではいけない」と言う危機感を誰もが感じているのではないだろうか。
お道はこの変化した社会に対応できるように、共通認識を持って生まれ変わる決意をしなければならないだろう。将来道を歩んでくれる後輩たちが胸を張って、この道を堂々と歩めるよう、今しっかりと道を踏み固めねばならない。
いかがでしょうか?
実はこのお話が『みちのとも』2020年10月号に掲載されたとき、何故か教内であまり支持をされなかったという印象があるんです。『みちのとも』での取り上げ方が下手だったのか、あるいは内容が分かりにくかったのか、はたまた表統領に人気が無いのか。さらに言うと読者がすでに諦めてしまっているのか・・・
私が読んだ文字起こしした文章とは別物のような気がしました。
それはさておき、私はこの「文字起こし版」を読んだ瞬間、控えめに言って「感動」しました。あたかも「コペルニクス的転回」が出来したかのような衝撃を受けました。
「ヒャッホー!ついに天動説をゴミ箱にブチ込んで、地動説が常識になる時が来たぜ!」みたいな。
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曰く「宗教に対する世間の価値観が変化する中、伝統を踏襲するだけの活動が通用しなくなるのはむしろ当然のことであった」
曰く「お道はこの変化した社会に対応できるように、共通認識を持って生まれ変わる決意をしなければならないだろう」
いまだかつて、これほどまで力強く変革を決意する言葉を語った表統領がいたでしょうか。
また百三十年祭以後に見せられたふしについても
教祖百三十年祭以後、私たちは大きな節を次々とお見せいただいた。
信仰の中心であるかんろだいの倒壊。
真柱に見せられた身上。
私は親神様からのこれらのお仕込みに対し、私たちそれぞれのたすけ一条の活動がもっと積極的に展開できればご守護を頂戴することができるに違いないと信じ、皆様もそれぞれに努めてこられた。そこへきて新型コロナウイルス感染症の蔓延という予想だにしなかったことが起き、お道の活動は全て止まってしまった。本部も各教会もおつとめのために集まることをお断りせざるおえなくなった。
この状況に至って、私自身がこれまで考えてきた事は、親のせきこみの真意と全くかけ離れていたことに気づいた。
と反省の弁を述べ、さらには
そこで皆さんに申し上げたいのは、一手一つのお道の再出発にあたり、それを具現化するために全教会共通の目標を設定しようということである。
私たちが信じる教えはやはりコツコツと実行を重ねることで、真実を受け取りいただき本当のご守護を頂戴する道である。ただみんなが同じことをするのではない。
今後本部から色々と具体的な目標や手立てを出していくが、それぞれの教会がそれぞれのたすけ一条の御用を見つけ、取り組んでいってほしい。
と語り、また目指すべき教会の姿と人材の育成についても
教会の目標としておつとめの手を一日でも早く揃えたいということを耳にするが、それは形の上のことであり、大事なことではあるが、まずはおたすけの実践ができる教会を目指さなければ、結局はなかなか実現しないだろう。
あくまでも天理教の教会が目指す姿はたすけ一条である。
若い人や子供たちを育てる目的は、将来の「たすけ一条」に寄与する「ょうぼく」になってくれることであって、教会の維持運営の力になってくれる人を育てるわけではない。それは結果である。
お道の人材育成は内向きではなく、外向きを目指していかなければならないが、現在は、人材育成ばかりか、ほとんどの活動が内向きになってしまっている。においがけも外を向いているようで、実際は内向きになっていることが多いように思う。
全てが止まっているこの時こそ、仕切り直すには絶好の時だと思う。
と述べています。
素晴らしいです。bravo!です。私のことを批判しかしない奴と思っていらっしゃると思いますが、それは誤解です。褒める時は褒めるんです。
ここに記したものは表統領が語った言葉の抜粋で、かつ要旨でありますので、その思いの全てを網羅しているものではありません。
それでも、表統領が過去の伝統から脱却し、変革を希求しているということが迫力をもって伝わってきます。
かつてバズった歴史的名言「おつくしは命のつなぎ」すら、忘却の彼方に吹き飛ばす勢いでした。
ところが、先般大教会から「必ず熟読するように」と厳命された『みちのとも』6月号のインタビュー記事からは変革の気概のようなものがまったく伝わってこないのです。
「教会に点数を付ける」という奇策は飛び出しましたが、自教会の現状を把握し、教祖のひながたを3年間同じ力で歩み続けるという内容であり、従来の年祭への歩みを踏襲しているだけという印象を受けました。
余計なことですが、教祖のひながたを3年も歩むなんて不可能です。教祖が歩んだひながたの道の過酷さをなめちゃいけません。特別な訓練を受けた、お道の特殊部隊(そんなのあったっけ?)以外の素人なら3日で倒れます。間違いなく。
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俺たちの兄貴、表統領は一体どうしてしまったのでしょう。私にはすっかり「これからの道の歩み」でぶち上げた「コペ転的改革」以前に戻ってしまっているような気がするのですが。
両統領のインタビューを読んで私が感じた違和感の原因はこれなんです。
もしかして、表統領のコペ天的方向性が本部で受け入れられていないのでしょうか。それとも年祭活動と教内の変革は別物と考えているのでしょうか。でも、それを分けて考えてしまうと何の意味もなくなってしまうと思うんです。間違いなくこの船は沈没しますよ。今もジャブジャブと浸水し続けているのですから。
やはり天動説からの脱却は儚い幻だったのでしょうか。
いや、今後秋季大祭で『諭達』が発布され、それを元に具体的な活動方針が発表されるはずですので、諦めるにはまだ早いと思います。
そこで発表される方針によって、真のコペルニクス的転回が起こることを祈るばかりです。
伝統は私たちと過去を繋ぎます。でも今必要なのは私たちと未来を繋ぐ変革なのです。
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