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人生の時間切れについて考える

今回は「現役を退いたあと」に何かやりたい、というのは「時間切れ」であるかもしれないということを書き綴る。

大学で仕事をしていると、結構年配の、すでにリタイアされている方、それも企業や組織でそれなりの地位だった方からの相談がある。こういう研究や実験をしたい、という提案が多い。

そのときにかなりの確率で出てくるのが、「人が足りない」、「場所がたりない」、「データ解析技術が足りない」などの、物事をやるうえでは必ず必要な要素である。しかもこちらの研究内容と関係ない、「技能」や「時間」、もっと言えば「金」で解決できる要素である。あるいは金で買うにも売っている場所が少ない、「知識」を欲する人もいる。そのような時、こちらが若者だからか、「仕事」あるいは「研究テーマ」を与えてあげているという気持ち、もっと邪推すると「大学なら無償か格安で一緒にやってくれる」という期待を持っている方が多いように感じる。

翻って自分が研究を行うとき、現役で研究室を持っていると、学生の研究になるかはさておき(関係が良好なら)自分の研究を手伝ってもらえる。足りなければ研究費をとって人を雇うという選択肢もある(研究費をどうとるか、とれるかも大きな問題であるが、少なくともその資格は「現役」ならばある)。

それが退職など、リタイア後になると、条件が違う。科研費一つとっても、簡単には応募できない。

企業経験がないのでわからないが、その辺は企業でも同じだろう。部下にお願いするとか、外部の業者に委託するなど、自分がやりたいことを実現するためのいくつもの方法があるはずだ。特に、最初に書いた通り年配のそれなりの地位の方なら、まわりを「無償で」動かすのは「当たり前」だったのではないか。さすがにそれは言い過ぎにしても、どの組織でも、組織人ならばある程度の年齢までは、部下や下の人、社会のほかの組織を動かすことが可能であると思われる。

組織に属さない状態では「フリーランス」、「ベンチャー」的な動き方をしないと人は集まらない。現役時代と違って簡単にお金を動かすことも難しいだろうから、全部自腹、ということもあり得るだろう。知識にしても、自分が身に着けなければ、ものすごく高額になる。この辺は同世代か少し上くらいのベンチャー企業の社長なんかは、さすが腕一本でやっているだけあって、すごくよくわかっている。自分が持つところ、相手が持つところがいい塩梅の取引になるような「仕込み」が非常にうまいのだ。一方で年配のベンチャーでは一定数現役時代の感覚が抜けず、ほかの人がやってくれて当たり前、という気持ちがあるように見える(当然年配の方でも超人的に全部やる人もいる)。

つまり、組織人にとって実は何かをなすためには「現役である」というのはすごく大きな強みであり、現役を退くのは「時間切れ」になったということである。給料をもらっていることから、自分が組織に貢献していると思いがちだが、実は給料の何倍、何十倍という経済的、人的資源を使えるのだ。現役を退くと、その資源が使えなくなるので、もちろんそれまでのようにやりたいことはできない。

世代が違うからか、現在現役を退いて、やりたいことの相談にくる方には、そういう組織、地位に依存した資源を自分自身が持っている資源だと錯覚して、頼めばやってくれるだろうという方が比較的多い気がする。そういう場合にWIN-WINの関係を作るのは至難である。先方が与えてくれるものが、たとえこちらの地位や権力を強めたとしても、かなりの確率でこちらの「やりたいこと」ではないのだから。

もし年配の人が振ったことを若者が実現するのに全力をつかっていたら、その若者は自分が「時間切れ」になったときに同様に現役世代に迷惑をかけそうなので、最悪な気がする。という話。

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