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「反ユダヤ主義批判」の政治的濫用、ここに極まれり? ―「IHRA定義」の欺瞞性

今月18日から20日にかけてイスラエルを訪問したポンペオ国務長官は、パレスチナ西岸地区のイスラエル入植地を訪問したり、BDS運動を反ユダヤ主義だと断定するなど、任期中最後のイスラエルへの「ご奉公」に奔走している。とりわけ、オスロ合意以降、「西岸/ガザ製」とすることとされていたイスラエル入植地製品の原産地表示を「イスラエル製」とすることを認めるとの決定と、BDS運動に関わる団体を「反ユダヤ主義団体」として特定し、リスト化するとの決定は、具体的な行政措置を伴うものである。これらの決定を、次期バイデン政権に取り消させることは簡単ではないだろう。
https://www.state.gov/marking-of-country-of-origin/
https://www.state.gov/identifying-organizations-engaged-in-anti-semitic-bds-activities/

思うように拡がらない「占領の既成事実化」の追認

トランプ政権が進めた諸々の親イスラエル政策は、一見、パレスチナ情勢を根底から覆すインパクトを持つようにも見えるが、実際には、これまでイスラエルが米国の庇護の下で着々と進めてきた「占領の既成事実化」を追認するものに過ぎない。一部アラブ諸国のイスラエルとの国交正常化についても、水面下で進められてきた政治・経済交流が公的になされるようになった、という広報外交的な成果を超えるものとは今のところ言い難い。これらの国々の指導者は、石油価格の低迷や国内外における政治的・軍事的対立の行き詰まりといった条件の下、国民の意志とは関係なしにパレスチナを「売った」のである。
https://electronicintifada.net/blogs/tamara-nassar/israels-war-industry-embraces-emirates-open-arms

また、イスラエルは、トランプ政権という、中東情勢に関する知識・原則をもたず、何事も「ディール」を通じて決定するという、格好のパートナーを得ながら、米国と一部の親米諸国を除き、国際社会の基本姿勢を変えることはできずにいる。すなわち、パレスチナ人の自決権を明確に承認してきたEUやAALA諸国、国連において「占領の既成事実化」を容認しない立場は堅持され続けている。武力による領土獲得の容認は第二次世界大戦後の国際法秩序の崩壊を意味するからである。むしろこの間、草の根の市民によるBDS運動が、国際社会におけるイスラエルに対する「無処罰の伝統」を転換する動きを作り出してきたことに注目すべきである。イスラエルがトランプ政権を通じて実現してきた諸政策は、この動きに対する対抗措置として見る必要がある。
http://pinfo.html.xdomain.jp/news/201610250225.htm

EU・国連における入植地ビジネス規制の動き―対イスラエル制裁措置への道

まず、入植地製品の原産地表示については、2015年にEUでガイドラインが定められ、入植地製品はイスラエル産と表示してはいけないし、関税特恵の対象にはならないという原則が明確化された。これに不服としたシオニスト団体等が欧州司法裁判所で訴訟を起こしたものの、2019年11月には、ガイドラインの内容を支持する判決が下された。ちなみにポンペオが訪ねたプサゴット入植地はこの裁判の原告に加わっていた。つまり、今回のトランプ政権の決定は、EUの対イスラエル政策との対抗関係において捉える必要がある。
https://fbc.de/eur/eur2461/
https://curia.europa.eu/jcms/upload/docs/application/pdf/2019-11/cp190140en.pdf

BDS関連団体のリスト化についても同様である。2012年に国連特別報告者は入植地ビジネスに関わる14社を特定し、それらに対するボイコット、資本引揚げ、制裁を主導するよう各国市民社会に要請する報告書を発表しており、2016年には国連人権理事会が、「直接的間接的に入植地の建設および拡大を可能とし、促進し、そこから利益を得ている」すべての企業のリスト化とその毎年の更新を要請する決議を採択した。この決議にもとづき作成された入植地ビジネス関連企業112社のリストは、米・イスラエルの圧力に屈することなく今年2月に公表された。この動きに対する対抗措置として、今回のBDS関連団体のリスト化があるという点が重要である。
https://stop-sodastream.hatenadiary.org/entry/20121028/1351444489
https://undocs.org/en/A/HRC/43/71

濫用される「反ユダヤ主義」のIHRA定義

BDS運動を反ユダヤ主義だと同定するカラクリとして、イスラエル・米国・主要欧州諸国を含む34か国が加盟する国際ホロコースト記憶アライアンス(IHRA)による「反ユダヤ主義の定義」が利用されてきた。2016年に採択されたこの定義において最も問題視されているのは、「ユダヤ人の自決権を否定すること。例えば、イスラエル国家の存在を人種主義的企てであると主張することによる自決権の否定」、「現代のイスラエルの政策をナチスのそれと比較すること」という二つの「反ユダヤ主義」の具体例である。このIHRA定義を前提とするならば、BDS運動が目指す、占領の終結、イスラエル国内におけるパレスチナ市民の平等、難民の帰還権実現の3つの目標は、イスラエルが「ユダヤ人国家」として自己定義し続けることを不可能にするものであるがゆえに、BDSはユダヤ人の自決権を否定するので反ユダヤ主義である、ということになる。
http://pinfo.html.xdomain.jp/note2/202008120208.htm

この間、イスラエル・ロビーは、このIHRA定義を各国・各団体における反人種主義法に組み込むことでBDS運動を規制しようとしている。しかし米国におけるその試みは、表現の自由を保障する合衆国憲法修正第1条に反するとして下院において3度にわたり否決され、2019年12月の大統領令によって強引に効力を持たされることになった。こうした経緯は、この大統領令の法的正当性に強い疑義を抱かせるものである。10月には、ポンペオ国務長官の主導で、このIHRA定義にもとづき、アムネスティ・インターナショナル、ヒューマン・ライツ・ウォッチ、オクスファムの3団体を「反ユダヤ主義団体」であると指定する動きがあると報じられた。実際にはこれらの団体はBDS運動に参加しているわけではなく、BDS運動の活動家に対する弾圧を批判したり、イスラエルの占領政策を批判したりしていただけであるが、その影響力の大きさに注目をしたのだと思われる。余りの拙速な動きに対する内外の反対が強かったため、この動きは見送られた。そこで出てきたのが、BDS団体をリスト化するという今回の声明であった。
https://www.whitehouse.gov/presidential-actions/executive-order-combating-anti-semitism/
https://www.politico.com/news/2020/10/21/state-department-weighs-labeling-several-prominent-human-rights-groups-anti-semitic-430882

ポンペオ声明から透けて見える「反ユダヤ主義批判」濫用の限界点

このように、BDS運動を反ユダヤ主義だと論難する動きは、大局的に見て成功してきたとは言い難い。2018年の中間選挙でBDS運動を明確に支持するイルハン・オマルとラシーダ・トライブ(タリーブ)が当選したことは、イスラエル・ロビーの影響力凋落を明白に示している。彼女たちは今年8月、西岸併合の承認につながる対イスラエル援助を禁じる法案を他の議員と共同で提出したが、共同提出議員7人全員が今回の選挙で再選された。
https://electronicintifada.net/blogs/josh-ruebner/historic-bill-would-penalize-israel-annexation-and-apartheid

また、フランスでは米国よりも一足早く2010年に反人種主義法の対象にBDS運動を組み込む大統領令が出され、これにもとづき、2015年に同国最高裁がBDSの活動家11名に対する有罪判決を出した。しかし今年6月、欧州人権裁判所はフランス最高裁の判決を表現の自由に対する侵害であるとして、フランス政府に対して11名に対する賠償金支払いを命じた。この判決は、同様にBDS運動の処罰を可能とする立法措置がなされているドイツに対しても影響を与えざるを得ないであろう。
https://electronicintifada.net/blogs/ali-abunimah/european-court-upholds-right-boycott-israel

BDS運動をはじめとしたパレスチナ連帯運動に対するイスラエルの組織的攻撃は、トランプ政権とネタニヤフ政権という排外主義ポピュリズムと反リベラリズムを共有する者同士の連携という特殊状況において活性化したものの、その限界はすでに見えつつある。トランプ政権の親イスラエル政策に大きな影響を与えた米国の福音派プロテスタントやユダヤ系市民におけるイスラエル支持者の割合は、とりわけ若年層において近年急速に低下しつつある。2017年に米国で実施された世論調査で、65歳以上の福音派の76%がイスラエルに肯定的印象を持っていると回答したのに対し、18~34歳では58%にとどまっていた。また、40歳以下のユダヤ人のうち、22%がBDSを支持しているとの世論調査もある。実際、米国におけるBDS運動は、「Jewish Voice for Peace」や「IfNotNow」といったユダヤ系平和団体の若手活動家および学生組織「Student for Justice in Palestine」が牽引していると言っても過言ではない。トランプ政権の排外主義政策・大企業優遇政策は、若者・女性・LGBT・非白人・進歩派ユダヤ人といった人々の間の横の連帯感を強化してきた。それこそがまさにイルハン・オマル議員やラシーダ・トライブ議員の当選・再選を可能にした力だといえる。次期バイデン政権においてイスラエル・ロビーが、この横の連帯を分断するために「反ユダヤ主義批判」を利用してくることは間違いない。しかし、それが成功する条件は狭まりつつある。
https://lifewayresearch.com/2017/12/04/support-of-israel-among-younger-evangelicals/
https://mondoweiss.net/2020/11/a-biden-presidency-would-bring-huge-pressure-on-liberal-zionists-from-pro-bds-jews/


【参考】トランプ政権が行った主な親イスラエル・反パレスチナ政策

2017年12月6日 米、エルサレム首都認定
2018年5月8日 米、イラン核合意離脱
2018年6月19日 米、国連人権理事会脱退
2018年8月31日 米、UNRWAへの拠出金全面停止
2018年9月10日 米、パレスチナ代表部閉鎖発表
2018年10月4日 米、国際司法裁判所のウィーン議定書から脱退
2018年12月31日 米、UNESCO脱退
2019年3月25日 米、ゴラン高原のイスラエル主権承認
2019年6月25・26日 米、バハレーンの首都マナマでパレスチナ支援会議
2019年11月19日 米、西岸入植地を合法とする立場に転換
2019年12月11日 米、IHRA定義を公民権法に適用する大統領令
2020年1月3日 米、ソレイマーニ司令官殺害
2020年1月28日 米、世紀のディール発表
2020年8月13日 イスラエルとUAE、国交正常化合意
2020年9月11日 イスラエルとバハレーン、国交正常化合意
2020年9月15日 イスラエルとUAE・バハレーン、アブラハム協定署名
2020年10月23日 イスラエルとスーダーン、国交正常化合意
2020年11月19日 米、BDS団体のリスト化および入植地製品の原産地表示をイスラエルとする決定

(文責:役重善洋)


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