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11人兄弟の夫と家族のケースから弾かれる幻想と大事にしたいこと

夫は本人を含めて11人兄弟です。

1番上のお兄さんだけはお父さんが異なり、その後の10人はみんな同じお父さんとお母さんから生まれた兄弟。
年齢は1番上が36歳、1番下が21歳。
男女比は男の子6人、女の子5人。

ほとんど間を空けずに、15年間で11人が生まれたことが分かります。

日本なら「大家族」の番組ができる勢い。
これはアメリカでも珍しい家族構成で(...離婚と再婚の果てに兄弟の数が増えるというのはあるケースらしい)、さらに驚きなのは1番下の子が生まれたその数年後、義父は出ていき義母はシングルマザーとなったこと。
そして義母はシングルマザーのかたわら、11人の子供全員をホームスクールで高校卒業あるいは高校進学まで育てたということです。


アメリカではホームスクール(家庭内教育)が認められています。実際ホームスクール用のカリキュラム、教科書、教材などは昔から販売されていて、少なくない家庭が公教育の代わりにホームスクールを選び、親が(多くの場合、母親が)自分の子供達に学校教科を教えています。その際、親の教員資格は問いません。

公教育の代わりにホームスクールを選ぶ理由は様々あるようですが、義母の場合は公教育のカリキュラム、授業の進め方、教員の資質に疑問を感じていた(+お金がそれなりにかかる)ということにあるそう。

ところで、アメリカの教育は日本の教育より進んでいるというイメージを持つ方もいるかもしれませんが、実際はそうでもない(...そうでも、どころか全然進んでない)というのが私の息子の学校教育をみても、人のホームスクールの内容を見聞きしても思うところです。

何をもって“進んでいる”と評価するかにもよりますが、カリキュラムだけで言えばアメリカの学校にいる半分の時間は何らかの勉強で、残りの半分は遊びの時間(休憩だったり、お楽しみ活動だったり)。大人になって割り算ができないとか、本が読めない人もいます。

学習内容は国語(英語)と算数が中心で、日本の学校と比較すると2年分くらいは遅い内容をやっています。例えば掛け算は3年生の後半に学ぶ、みたいな具合です。

教科としての理科はありません。なにせ実験室が学校にない。体育はリフレッシュ、体を動かすのが目的なので、スポーツを通して体の動かし方を学ぶとかスポーツから団結力とかチームワークとか、何かしらを得るという高次的な運動の時間ではありません。家庭科や道徳の内容などは家庭で教えるものとされています。(だから生まれる多様性。いい意味でも悪い意味でも。)

義母は研究所で働く化学者だったこともあり頭脳明晰です。おそらく自分で我が子を教育するのに自信があったのでしょう。

とはいえ、知っていることと、それを教えることはまた別の話です。
私なんて軟飯を通り越してお粥ぐらいの勢いで噛み砕いて我が子に説明しても、即座に「分からない〜」とサジをなげられるとイラッとしてしまうから、忍耐とか持久力とかそういう部分でも義母を尊敬します。

そんな義母に11人分の家事と育児と教育、それに加えて金銭的にも1人で一体どうやって、、、と何度も聞いてもそのカラクリが分からない。本人も1番忙しい10年間の記憶はどうやりくりしたか思い出せないそう。

夫曰くかなり貧乏な生活もしたし、条件のいい土地を求めて引っ越しも毎年のようにしてたとか。

そしてホームスクールとはいえ、ずっと家庭内で孤立して授業をするのではないそう。

週1回ホームスクールをしているコミュニティがどこかの教会に集まって、それぞれの母親の得意分野で授業をしていたらしい。

声楽を学んだあるお母さんは音楽、化学者のあるお母さん(義母)は理科、文筆家のあるお母さんは英語、みたいに。

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話を戻すと、11人兄弟の1番下の子が今年21歳になったので、夫の兄弟は全員成人したことになります。

同じ屋根の下、それぞれ衣食住も、教育も、文字通りの苦楽も全てともにした兄弟は大人になってみんな仲良くやっているかというと.....。

多かれ少なかれ、兄弟の誰かと誰かの間には摩擦があったり、最悪亀裂があったりするのが現状です。

1冊の本ができるような凄まじい家庭環境の中で、誰もグレたりせず、それぞれが立派に大人になり仕事をしています。社会的な名誉や称号を持っている兄弟もいるし、恋人やパートナーもいるし、それぞれ性格は全然違うけどみんな素敵な義兄弟と私は思っているのだけど。

夫の家族のケースだけ見れば、「大家族は仲がいい」なんて幻想。
1番上の兄は、新しいお父さんとうまくいかず早々に家を出ていき、上から2番目にあたる夫は常に下の子のお世話をさせられて、自分の時間もなく、常に誰かの干渉や“ノイズ”が入ってきて鬱陶しかった。それゆえに全員シャットアウトするようになり、人に無関心になったらしい。
他の子はその立ち位置でまた別の理由があったり、不満があったり、歪みがでたり。
結婚式でさえ家族が揃わないし、行事ごとの贈り物も贈る人、何もしない人、色々。夫も含めてみんな兄弟の誕生日の日付を覚えてないし、言えない。

半分以上の義兄弟は将来子供が欲しくないと言っています。まだ20代なので、そのうち意思が変わるかもしれないけど、「子供はかわいいけど、よその子だけで十分」と。かく言う夫も最初は子供はそんなに欲しい派ではありませんでした。

こんなに頑張って育てたスーパーマンのような義母に対しても、子供達が心から慕っているとは言い難い。それは母親が教員の役目をしたり、父親の役目もしたりしたので結果的に嫌われてしまった(嫌われ役になった)のだろうと外から入ってきた外国人の嫁は思うのだけど、子供たちの視点は違う。


義母は当時から子供達の成長と健康を考えて、有機食品を選び、発酵食品を作り、何でも手作りで食べさせていた(それは今でもしている)。この話を1つとっても、「今日は金曜日だからピザの日ね」とか「マクドナルドにする?タコベルにする?」とか子供に話しているアメリカ人の家庭とは違うのが分かります。

子供達に色んな経験をして欲しくてキャンプに出かけたり、演劇をさせたり、ディベート大会に出したり。

11人の幼い頃の記憶が曖昧になりそうなのに、それぞれのエピソードを義母はよく覚えていて聞かせてくれるのもそう。

義母は子供達にできることを全部していたし、子供達への愛情もあった。

でも母親からの愛情を感じられなかったと夫もその兄弟も言います。

義母のことを本当に尊敬するし、その聡明さも技量もものすごいことには間違いない。
だけど、大事なことに欠けていたんだなぁと。

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年齢の近い11人の子供も、シングルマザーも、ホームスクールも、アメリカ人家族なことも、どれもこれも私の家庭環境に近いものはありません。

日本の家族や友達に話しても、誰も共感もないのが当たり前。

特殊なケースすぎて自分の身内でありながら、どこか他人事にさえ感じているくらい。

だから私も身内のことをこれまで親しい人以外に話すことはありませんでした。
一方的に話して終わることに意味はない気がして。

でもこの特殊ケースは興味深いという意味でおもしろいし、学ぶものがあると自分の子育てと並行する中で思うようになりました。

子育てで言えば、自分が今「子供のため」と思って一生懸命やっていることとか、優先的に大事にしていることが本当に子供達が求めているものかどうか、立ち止まって考える必要があると気付かされます。

1番大事なのは何か、それは誰のためか、子供と私はどんな関係でありたいか、そういうことを考えさせられるよなぁと。

お義母さん、いい人だしスーパーマンかウルトラマンなのに。
兄弟それぞれみんな素敵で、賢い大人に成長したのに。
愛情や家族のつながりを作るのは簡単じゃない。

そして同じ母親と同じ環境で育った11人をみて思うのは、巷にあふれる子育てで“これするとこれ”とか、”こんなことするとだめ“とか、こんな言葉がいい、環境がいい、こんな風にしたら勝ち組みたいな子育て論なんて話し半分かそれ以下。むしろ箸にも棒にもかからないくらいどうでもいい。

正解はすべて目の前の子供の中に。
だから子供の観察は大事だし、忘れっぽいゆえつい人と比べたり、誰かの話を鵜呑みにしがちだけど、我が子を大事にする気持ちもその表現も忘れないようにせねばと思っています。


写真は息子が「どんど焼き」と表現したクリスマスツリーを燃やした日より。今年のもみの木はとてもいい香りで、-25℃でも外にいたくなる焚き火となりました。

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