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夏風邪と、ヒロイズムと。

夏風邪はバカがひくと言うけれど、
なるほど、なるほど、と納得させられた。

僕のようなほぼほぼ引き篭もりの生活をしていると、
感染経路が無いので、覚えている限りでは年単位で風邪を引いていない。
新型コロナウイルス感染症(COVID19)にも、一度もかかっていない。
関節炎性乾癬の治療で、免疫抑制剤を服用しているにも関わらずだ。

しかし残念ながら、同居人は医療従事である。

月曜日あたりから喉が痛いし、咳が止まらなくなった。
「もしかしたらCOVID-19かも」
発熱はないけれども、最近はそういう症状のもあるらしいと聞く。
そして今更感ありありだが、COVID-19のPCR検査を受けた。
なぜかと言うと、来週2ヶ月に1度の関節炎性乾癬の診察があり、
これを受けられないと、とても手続きが色々と面倒くさくなるからである。
症状が無くなってから5日間は感染リスクの高い人たちが集まるところに行くのは
自粛すべし、と言う厚労省だかの縛りを回避するためだけの自己中心的行動でした。

結果は幸い、陰性でした。


生まれつき身体が強いとは言えないようだ。
幼稚園に通っていたときは、1ヶ月全部通えた月が無かった。
登園するともらえるシールを月毎のカレンダーのような台紙に貼るのだが、
必ずどこか埋まっていなくて、幼いながらに劣等感を感じたのを覚えている。
我ながら嫌な幼稚園児だな。

高校生、大学生、大学院生の頃は、生物としてのピークだったからか、
すこぶる健康体だったように思う。
それでも風邪でも引こうものなら重症化して、なかなか治らなかった。
原因は、自己管理能力の欠如にある。
軽症のうちに気付いて休息を取ったりすれば良いのだが、それが出来ない。
どうにもならなくなるまで身体を酷使し、限界を超えた時に倒れる。
自己治癒力が低下しているので、回復しない。
当たり前である。


問題なのは、そこに幾許かの満足感を感じてしまっていたことにある。
「いま自分に出来ることは、全てやり切った」
そんな安っぽいヒロイズムに浸れてしまうことに問題の根源はあるのだろう。
しかし、
「ここで全力を出し切らなければ、必ず後々後悔するだろう」
「(また同じ)後悔はしたくない」
は少し毛色が違う。
前者が自らの行動が何かに繋がるだろうと期待する未来志向型の思考なのに対し、
後者は自らの過去からの逃避の色が強く感じられる。

年齢を重ね経験を積むごとに、後者の比率が増えていくのは致し方ない。
そして残された時間は減り、体力の衰えから成し得ることは減っていく。

皮肉なものだな、と思う。


しかし、今ふと思ったのだが、
女性は「皮肉」などとは思わないのかもしれない。
それが彼女らにとっての「当然」なのだとすれば。

男は倒れても、体力が回復して立ち上がれば、
いつでも(自ら見ての)ヒーローに戻れる。
時間経過に対してとても無頓着だ。

一方、女性にはそんな時間的猶予は与えられていない。
彼女らには、その時々にやらねばならぬ事が多いので、
常に「後悔はしたくない」と考えざるを得ず、
時間に対してはシビアなのだろう。

結局のところ、ありふれた結論になってしまった。
ただ、女性に対するヒロイズムに相当する単語が僕の知る範囲では存在しないのは、こんなところにも理由があるのかもしれないな、と思った次第である。

あらためて、ここで了。







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