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04号への橋渡し日記 1206-1212

1206

03号に協力してくれた方々へのお礼として前々から約束していた、貴重な音源をCDに移行する作業をする。上手くできない部分も残るが、これ以上は巧みにできそうもないので仕方がない。

他にも秘蔵音源が少しあるので、ラジカセで久々に聴いているうちに「***********」のひとつ前の段階の歌詞を見つけた。

 


1207

秘蔵音源と言っても、かなりの曲はすでに出回っているので、これらの解説やガイドが必要になるかもしれない。少なくとも「公式音源ではないので、存在にすら触れてはならない」状態ではない(以前はそんな風に思っていた)。

これは04号に書くべきか。仮タイトルは「非公式音源を聴いてみよう」。

 

 

1208

東京03のDVD「明日の風に吹かれないで(第十八回東京03単独公演)」を見ていたらエンディング曲が小沢健二のパロディで「僕らが留まっている理由」というタイトルだった。イントロは原曲そのまんまなので、カヴァーかと思った。間奏がまたそのまんまなので笑ってしまう。

 

 

1209

FNS歌謡祭に小沢健二が出るとのこと。新聞の番組欄では上から二番目に名前が書いてあった。FGのZineを製作販売しているこの私が言うのも何だが、2020年の今、そこまで小沢氏は世間にとって重要な人物なのだろうか?何かのタイアップがある訳でもなく、スポンサーにコネがあるようにも見えない。

いざ夜になると今度は「一人アリーナツアー」のチケット販売が開始された。さいたま市での公演があったため、つい勢いで申し込んでしまったが、昨日も山下洋輔のソロ公演を申し込んできたばかりである。

肝心のFNS歌謡祭の方は、森山直太朗と生田絵梨花が話していると突然「ラブリー」が始まって、せわしなく歌ってお終い。これでは流れもへったくれもない。

せめて「大人になれば」とか「春にして君を想う」みたいな路線の曲を歌って、5分くらいはその歌い手のものにしてほしい。やはりそれほど重要な人物とは見なされていないような扱いで、そうすると年功序列的なものかと考える。テレビは人間を矮小化してしまう装置なのだとあらためて思う。


 

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04号のためのインタビュー。

某さんと二人で延々と「FAKE」周辺の話題を中心に話す。二時間いただいた予定が少し延びて、結局は三時間近くになった。

大塚幸代さんの話をしているうちに、あちこちへ話題が飛んだ。その過程でいろいろと疑問が解けたり、なるほどと納得したり、同じ事実をちょっと違う角度から確認したり。「これは書かないでほしい」「ここだけの話」も少なからずあり、かといって表面的な美談ばかりにもできず、その匙加減を慎重に調整しないといけない。

 


1211

04号のための企画を書きだして、◎と〇と△に分類してみると、◎は半分くらいで、残りをどう育てるか、何か他にないかと考える。急ぐ必要はないが、ゆっくり構えてボヤッとしていることもできない。

 

 

 1212

クリエイターに対して「いつも同じようなパターンだ」「マンネリだ」と批判する人がいる。それは一般人と一般人の関係でも同じことだ。

Aさんの話を聞いていると、いつも同じような展開をなぞっているように感じて、BちゃんにもC君にも、D嬢やE様やF氏に……、やはり同じようなマンネリ感を持ちながら接している。

それを別名「個性」と呼ぶのだし、相手だってこの自分を多かれ少なかれそのように見ているに違いない。

もし、同じような連続性を持っていなければどうか。たちまち「あいつは人が変わった」「ちょっと最近おかしい」とされるのだから、適切なマンネリ性をお互いにキープしなければいけないくらいだ。

 

 

先日インタビューした人に「なんなら」を文章に入れたがる傾向はあまり好ましくないと言ったら、今日は小沢健二のツイッターの文章に「なんなら」を見つけてしまった。自分はあまりミュージシャンの言動に腹を立てたり失望したりということはほとんどないが、これは少し残念に思う。

今後、小沢健二がクイズ番組のレギュラー出演者になったり、お子さんと一緒にバンド活動をしたりという可能性を考えてしまう。

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