あなたは何で出来ていますか? What are you made of?

 ずいぶん昔ですが、ある雑誌の編集をしていた時、ある人に原稿を書いていただきました。その人はターミナルケアの看護師さん(以下Aさん)でした。Aさんの原稿で、今でも心に残っている文章があります。
「私という人間は亡くなった患者さんたちのたくさんの思い出(記憶)で出来ています」
 亡くなることが患者さんにも看護師もわかっている医療現場がターミナルケアです。そういう肉体的にも精神的にも過酷な現場で鍛えられたAさんでさえ、患者さんが亡くなったら、やはり落ち込むそうです。でも落ち込むだけではなく、その気持ちも含めて、自分を成長させていくそうです。
 たとえば、食にこだわる人なら「食べた物が私を作っている」となるでしょう。私のような読書好きは「読んだ本が私を作っている」ような気がします。Aさんの場合は「亡くなった患者さんが私を作っている」ということなのです。
 Aさんの言葉が私の心に響くのは、自分の感情を受け止めつつ、看護師としてのプロフェッショナルとしての矜持があるからです。すべての死は(私を作ってくれる)価値がある(無駄な死はない)というメッセージとしても受け取ることができるからです。
「亡くなった人が本当に亡くなるのは人に忘れられた時だ」という言葉を聞いたことがあります。だとすれば、Aさんは亡くなった人を忘れないだけでなく、その方の思い出(記憶)を自分の骨や肉や血として、自分の中に取り込んでいるのだと思います。プロとして、その精神性だけでなく身体性も含めて、次の患者さんのために生かすことが、Aさんにとって生きるということなのでしょう。Aさんの言葉を思い出すたびに、私は「よく生きて、よく死ぬ」という大切さを再確認しています。

追伸

 人の死は遺された人にとって常に有益だ、と私は思います。たとえば、志村けんさんが亡くなったとき、私たちは「え!」という衝撃とともに、大切な何かを学んだはずです。そのとき学んだことを、私はもう一度、確認したいと思います。

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