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【映画感想】今月のベストムービーは「Perfect Days」(2023年12月:11本)

今年は121本もの映画を観ました。これでも世の中の映画の少しにしかならないと考えると世の中って本当に娯楽に溢れているのですよ。Perfect Daysを観た時もそう思ったけど映画を見るって「足るを知る」って事が凄く解ります。

私が闘病していた時に支えに常にあったのが「映画」でした。だからこそ今年ここまで映画を観るという事に感想や声を書いていこうと決意したんだと思います。私が闘病中Netflix観ていると先輩に語ったら「そんな暇があったら勉強しろ」と言われたのを未だに忘れていません(執着心、依存性の高い9種体壁)。あの人はパワハラだったと心から思うし映画というものの価値を解っていない、生きるという事を理解してない大馬鹿野郎だと思うのです。

SNSで承認欲求を満たしたり向上心の塊で欲望に突き動かされるよりも映画を観る「空白」の時間をこれからも大切にしたいと思うのです。来年以降は自分の持病が問題なければもう少し外にも出ていくので映画の観る本数は減らすかもしれませんがそれでも80本は観たいなと思っています。

「第1位」Perfect Days ( 2023年 日本)

この映画背景から言うとTOTOが渋谷公用トイレを最先端にしたのにあやかって宣伝用にヴィムヴェンダース監督に声を掛けたと言うのが始まりらしい。

役所公司扮するトイレ清掃者の朝起きて夜寝るまでの生活を2時間映るというそれだけの映画だ。役所公司演じる平山の生活は隙がない。朝近隣で掃き掃除をする人の音で目が覚める。髭剃り、ちゃんと玄関に整えられた鍵類、自販機でコーヒーを一本。車で移動。スカイツリーが見えてきたあるタイミングでカセットテーブルの音楽を鳴らす。朝の仕事を終えたら決まった神社でサンドイッチと牛乳を食べる。そこで苗を頂いたり木漏れ日を撮影したり変な踊りをしているおじさんを観察する。日が暮れる前に仕事を終えて銭湯に行き、浅草駅前の安飲み屋で野球観戦をして帰宅。寝落ちする寸前まで本を読む。

「足るを知る」という言葉は若者だった自分は嫌いであった。もっと時間があれば、もっと楽しい事を見つけなければ、もっと研鑽しなければ。だが欲望に限りはなく穴の空いたバケツのように幸せは抜けていく。

平山は良いものを知っている。木漏れ日、70年代の渋いロック、幸田文やパトリシアハイスミスといった文庫本、植物。日々平山が空を見上げて少し頬を緩める時、未知と向かい合い受動的に感じている。平山は無口だが内面は途方もなく豊穣に違いない。

平山は何も作らないし表現しない。教養とその外面の清潔感さえあれば清掃員である必要はないように思えるが無欲のままだ。その無欲の平山の前を若者は行き交う。柄本明のお子さん演じるやる気のない若者清掃員、カセットを出来心で泥棒するキャバ嬢(アオイヤマダ)。姪っ子。欲を持ちそれ故に傷ついた彼らは平山に不思議な魅力を感じながらも過ぎ去っていく。

この世の中は繋がっていると同時に分断されている。最後の泣き笑いのような平山の顔がそれを物語っている。この世を生きるのは楽しく哀しい。その世界を如何に美しく生きるかを見せてくれているような気がする。勿論最初はTOTOの宣伝用映画であって綺麗すぎ怖い恐ろしい社会問題はオミットされてはいる。だがこの映画に込めたヴィム・ヴェンダースの思いは多くの人に届いていると思うのだ。

「第2位」Tar (2022年 アメリカ)


トッド・フィールド監督はとても変な監督だ。寡作だしこの映画は男性指揮者のパワハラについて描いて欲しいと打診があった時「ケイト・ブランシェットで撮りたいんだけど」と言ったそうだ。そしてその事がこの映画の趣きを深いものにしている。

この映画はケイト・ブランシェット怪演するリディア・カーという指揮者からの視点からみた映画である。カーは類い稀なる才能、たゆまぬストイックな努力、政治的な駆け引きで世界最高峰のベルリンフィルの首席指揮者である。言葉一つ一つに圧倒的なカリスマを感じられる。

権力。彼女はそれを得ていた事はひょっとしたら自覚はなかったのかもしれない。彼女が教えているクラスで「僕はLGPTのマイノリティで男尊女卑のバッハの曲は聴かないんだ」という生徒に対し、鬼のような言い回しでカーは男子をコテンパンに言葉で叩きのめしてしまう。オーケストラの状態に思わしく無い助言をいれてきた副指揮者セバスチャンを外してしまう。天真爛漫でお気に入りの新人チェロリスト オルガに主役を取らせる為にオーディションを開催する。

だが彼女の権力の振るい方は決して露骨ではない。人生生きていればこれくらいの人はざらにいると感じた。クラスで長回しで言葉で男子生徒を叩きのめした時も「作曲家ではなく曲をどう解釈するかが指揮者の仕事だ」という正論だったし、セバスチャンを外す時も他の人の意見を聞いている。オルガに主役を取らせるやり方も作為的であるとは言え一見フェアなやり方を通している。

リディア・ターは実在しない人物である。その人物がここまでカリスマ的に魅力的に見えるのはケイト・ブランシェットの力が大きい。誰かが「パワハラはカリスマと付随して起こる事が多い」と語っていたがその通りだと思う。ただの出来ない上司のパワハラは長く続く事はなく直ぐに失脚に終わる。だがそのパワハラはカリスマが行った場合には長く続く事になる。周りがそれを許してしまうからだ。それは私自身も経験しているからだ、カリスマや信用のある人のパワハラは多少噴出しても否定される事で終わる。

ターを裏切った彼女の秘書のフランシェスカもターに魅せられていた1人である。だから彼女の悪行の数々のデータを手元に残しつつも副指揮者として出世出来るならそれを許した筈だ。

ターは悪い人だったのだろうか。彼女が失脚した後彼女は実家らしき所に戻るが彼女は所謂良い所の出でない事が解る、昔指揮者を心ざす事とキッカケとなったビデオテープを見て1人微笑む。そして西洋に居られなくなった彼女はアジアに向かう。マッサージ屋に入ったつもりが売春宿に入ってしまい気持ち悪さに彼女は嘔吐する。彼女はただ人よりも音楽に対し純粋であっただけなのだ。そしてその西洋から離れモンハンゲーム音楽を指揮するという仕事で再生しようとするターの姿があった。

勧善懲悪、因果応報だけでは片付けられない余韻が残る名作である。

「第3位」ヴォルーズ(2023年 アメリカ/フランス)

素晴らしきB級作品。

メラン・ロラン、アデル・エグザルコプロス、マノン・ブレシュという三者三様の個性と美しさを持った「泥棒」が人生に行き詰まり、迷いながら生きていく映画。友情というよりはそれを超えた性愛の一歩手前の繋がりを感じる。彼女らを苦しめるボス役のイザベラアジャーニがボケっとしたアンニュイな美しさで花を添える。

設定上アクションシーンやスリリングな展開はあるものの記憶に残るのは繊細で個性的な美しい3人とヨーロッパ(スイス)の美しい街並み。特に途中の島と最後の砂漠の撮影地知りたいぜーと検索しまくったが解らなかった。

「貴方がクズ男ばかり選んでいる訳ではなく貴方にふさわしい男が中々いないだけ。聡明で賢くて強くて面白い。そして守ってあげなくても生きていける。そんな女を男を愛するのではなく恐がるの」

最後の3人で砂漠で再会した後のシーンでPretendersのI'll stand by youが合いすぎていてエモくて泣けた。この映画ではメラン・ロラン、アデル・エグザルコプロスというフランス女優を再認識出来たこと。マノン・ブレシュというカメルーン女優を発見出来た事がこの映画を観て良かった事かな。

「第4位」Tomorrow パーマネントライフを探して(2023 フランス)

子供が産まれた事を機に地球や人類の未来に興味を持ち始めたフランスのセレブ、女優、映画監督であるメラニー・ロランのドキュメンタリー。

2016年作なので古い情報もあるが未来を考える上で貴重な映画のように思えた。坂本龍一さんも子供が生まれると未来への想像力が大きく広がると仰られていたけどやっぱり世界のセレブはスケールが違うな。そしてドキュメンタリーにありがちな情報だけ伝える映画とは違い音楽や映像化の撮り方もお洒落。メラニー・ロラン大好きだな。

この映画は食糧危機や環境問題だけでなく「農業」「エネルギー」「経済」「民主主義」「教育」と分けて有り様を語ってくれている。2006年に英語南部トットネスから全世界に広がったトランジッション運動がベースになっている。いかに持続可能な社会を創り上げるのか。

「農業」
デトロイトは1960年代工業街から農業都市に転身した。従来の工業型農業はコストが上がりエコでもない。管理者は何もしない。医療費が上がる。小規模農業の可能性。持続可能な農業→アグリカルチャー、パーマネントカルチャー。
※ヴァンダナ・シヴァ(環境活動家)

「エネルギー」
人間が使っているエネルギーは殆ど移動と冷暖房。
自給自足している国→デンマーク、アイスランド、レユニオン島
※ピエール・ラビー(アグロエコロジスト)

「経済」
小さい経済圏が未来への道。お金を造るのは誰。お金を沢山刷ることで格差が広がる。
※リエター→お金も多様性が必要だ

「民主主義」
中心と末端。中心に行けば行く程しがらみで動けなくなる。末端が自由に動けるのが必要。

「教育」
フィンランド→教師になる前にモンテッソーリ教育、シュタイナー教育を受けている。

「Small is beatiful」というシュタイナーの言葉を思い出す。ネット社会、グローバル化によって世界は一つの文化を形成しつつある。肥大化し過ぎた社会は中心と末端が離れ過ぎていて様々な問題を引き起こしている。
循環型コミュニティに目を向けて大きな流れに自分の心を左右させない生き方の方がサスティナブルなのかもしれない。もう1度見返したい良作品。

「第5位」翔んで埼玉〜琵琶湖より愛を込めて〜(2023年 日本)

何も考えず緊張もせずふがふが笑っていられる2時間だった。ただ1人で映画館で観るべき映画ではないのかもしれない。

北関東の中で茨城や栃木、千葉、埼玉の愛の小競り合いは近畿圏でも見られる。今回は滋賀にフューチャーしている。

滋賀のナンバーをゲジナンと読んだり、とびたやHOPカード、埼玉の行田タワーがフューチャーされて今後観光客が訪れるに違いない。1番面白いのは出身地対決やな、これは馬鹿馬鹿しくて面白くてずっと見てられる。関西の成り上がり女優藤原紀香が出て来たあたりからグッと面白くなった。

ローカルなものって面白いよね。「チャーリーとチョコレート工場」のオマージュとも思えるゆりあんが出てきた場面、野生爆弾くっきーの顔面破壊力、杏があの宝塚のような出立ちが無茶苦茶似合っていた。アキラ100%の演技がうま過ぎる件。和歌山の姫君演じるトミコクレアの透明感。そして何と言ってもエンディングクレジットで流れるミルクボーイの滋賀を題材にした漫才は得をした気分になった。

キャスティングが妙でハリウッド映画のオマージュなど遊びが随所にあってこういう金の掛け方って最高だよね。長い目で見ると争いや揉め事って喜劇だし「横の繋がりって大事よね」と真面目腐って言われるよりこの映画を観るほうが教育上宜しいのではないかと本気で思えてきた。

「第6位」SABAKAN (2023年 日本)

昭和時代の小学生時代を田舎で過ごした自分にはエモく淡い映画だった。

考えれば男子の人生の中で心を女子に支配されている。主人公久田は長崎の田舎で肝っ玉お母ちゃんと憎めない父親に育てられている。アイドル斉藤由貴や高校生のカッコ良いお姉さんに淡い思いを胸に描くも現実の女性と付き合うまではまだ時間がある。お母さんは怖い存在であるものの少しずつ物心がつき始めた所。

ジャッキー・チェーンのようにカッコ良い友達竹本と山を超えてひと泳ぎしてブーメラン島までの日帰り冒険。大人になったら何故あんなに怖がっていたヤンキーも今は懐かしい。大人の世界も大変だが経験も身体も出来てない子供時代は毎日が冒険でサバイバルだなと思い出す。そのサバイバルな時代がとても幸せな時代だったと振り返ってつくづく思う。

小学校の同級生の同窓会が最近あった。それよりも前も後も付き合いはないのだがあの時一緒に過ごした空間や出来事はお互いにとって宝物だと心から思える。

「第7位」ナイアド(2023年 アメリカ)

確かにnetflixらしいこの映画を見ると純粋に感動してしまう自分もいるが果たしてそうなのかな?と思う。

人間の身体は変化し老いは避けられず人は死に向かっている。だからこそ諦める=明らかにする事も大事なのではないか。確かに社会的な価値観に迎合して諦める意味はない。だが人間の身体を見た時に摩耗する部分とそうでない部分がある。格闘技なんか見ているとそう思うし松坂の最後の登板を見た時もそう感じた。30年間泳いでないダイアナの伸び代があったのか。何故若かった30年間泳がなかったのか、そして何故走り出したのか。描かれてない所がとても気になるのだ。

ダイアナはカリスマ性はあるが言葉は悪くとても傍若無人な所がある。水泳界でも彼女のアンチは多いようだ。それは実在の彼女の顔つきからみてもとても良くわかる。男性ホルモン多めでアルファだ。そんな彼女に相棒ボニーはじめ皆惹きつけられるが「私の夢を叶える事が貴方の幸せだ」みたいな彼女の振る舞いは時として彼女の周囲も傷つける。そんな彼女の為に毎回一億円以上のプロジェクトが5回も動いたのは単に彼女のカリスマ故かもしれない。

栗城というエベレスト冬の無酸素で8回も登ろうとして命を落とした登山家がいる。彼の腕前は到底一流ではなかったらしい。じゃあ栗城とダイアナを隔てているものは何か。それは神風的な運でしかないのか。謎が残り質問を沢山したい映画ではある。

もやもやするので図書館から「対岸へ(Find a way)」(ダイアナ・ナイアド著)借りてきて年明けに読む事にする。感想を追記します。

そんなダイアナ・ナイアドを怪演するのはアネット・ベニング。彼女は「カジノ」の貴族的な上品な美しさを持った女優さんという記憶が強いのでこんな役を演じれるとは思わなかった。相方ボニーを演じるのはジョディ・フォスター。還暦目前にあのムキムキぶりにびっくりした。エンディングでリアルナイアドとリアルボニーが出てきてジョディフォスター演じるボニーとそっくり過ぎてやっぱジョディフォスター凄えよとなった。

でもねキーウェストで両足首が水から出た瞬間に完泳となってボニーとナイアドが抱き合うのだけどこの瞬間は2023年観たシーンで最も美しいシーンだった。あんな瞬間が人生で一度でもあれば生きていけると心から思う。

「第8位」The five devils(2021年 フランス)

「ヴォルーズ」のメラニー・ロランの相棒のスナイパーを演じていたアデル・エギザルコプロスというややこしい名前のフランス女優目当てで観に来ました。

この物語は変わっている。フランスの片田舎なんだけど滅茶苦茶景色は良い。アデル演じるジョアンナは黒人の旦那さんがいてタワシ頭のヴィッキーという子供がいる。ただアデルがヴィッキーを産んだとは観ててもとても思えない。アデルはプールの監視員をやっているお淑やかな女性で何故か余り綺麗でない川で寒中水泳をやっている。

ヴィッキーは嗅覚が優れており彼が配合した匂いを嗅ぐとタイムスリップする。ただ透明人間のような形で過去に戻れる。ヴィッキーはジョアンナと現旦那のジュリアと出逢った頃に戻る事によって彼女達の過去を知る。
過去と現在が交錯するのはどの映画でもあるがこのヴィッキーの視点が入る事により面白さが増している。

この映画の作りは2000年以前のセリフと雰囲気だったりするのだが最近の映画なんだよね。最後はジョアンナがジュリアと寄りを戻し、旦那は別の女性とくっ付く事が暗示されている。恐らく最後に見た子はヴィッキーの腹違いの妹かヴィッキーの娘だろうね。

そしてアデル・エグザルコプロスだが体幹がしっかりしていて時折出る男性性がカッコ良い。「ヴォルーズ」のメラニーロランと友情を超えた性愛を見せていたしこの映画のように同性愛者役もピタッとハマる。

「第9位」枯れ葉(2023年 フィンランド、ドイツ)

アキ・カウリスマキ監督の最新作。ラジオからはウクライナ戦争が流れて来ているので現在の映画だなとわかるのだが絵面が寒々しく相変わらず主人公が棒立ち、無表情、棒読みなので2023年の映画とは思えん。

だけどその無表情さ、棒立ちに観ているうちに魅力を感じてしまう。無愛想なアンサ、アル中のホラッパ。寂しい2人はロクなセリフや会話もないのに惹かれ合う設定になっている。最後はハッピーエンドなんだがすれ違い方が出来の悪いコントのようだ。

この映画は何故か満員で流石カウリスマキブランド強しと思った。自分の両隣りがお父さんと小学生低学年のお子さんだった。いやいやR指定じゃないけどカウリスマキはある意味R指定やろと驚愕した。2人が自分を挟んでやり取りをし始めたので「席を変わりましょうか?」と言ったら「いや、結構です」とお父さんに断られた。何でやねん!こっちの方が気になるっちゅうねん。訳ありなのかな、映画よりもこのやり取りの方が自分にとっては可笑しかった。

「第10位」First Cow(2023年 アメリカ)

自分にとっては難しい映画でした。

アメリカオレゴン州で出会った料理人クッキーと中国出身のキングヌー。

荒々しい西部の男達の中で時に暴力に屈しながらしぶとく生き延びていくクッキーとキングヌー。クッキーは足元でキノコ撮るなど現実主義、キングヌーは天を見ている野心家。噛み合わない2人の会話だがドーナツビジネスではお互いの性格を補うようで上手くいく。このドーナツの肝はファーストカウから泥棒(絞った)したミルク。この映画はドキドキしながら小心者がミルクを盗み続ける泥棒物語である。とは言えこの映画も昨日観たperfect daysや枯葉と同じく観客の心をスローダウンさせていく。

男性性を排除した男同士の友情は性格、生まれの違いもあって危うく見える。最後の横たわるクッキーと手元の金を見比べておもむろに横たわるキングヌーを見ると紙一重の友情にも見えた。結論は現在見つけられた2体の寄り添うようにして見つけられた白骨死体を冒頭のシーンで観ているからね。

「第11位」パリタクシー(2022年 フランス)

国民的歌手94歳リーヌ・ルノーによる「老いと人生」について考えさせられる映画。彼女がこの映画に参加し演じる事を決意したという事に意味があるのような気がする。フランス映画を最近観てるが色々考えさせられる。ちょっとここからフランス映画を掘っていこうかなと考えている。

免停寸前、残業、金なしで常にイライラしている46歳の中年タクシードライバーと自宅を引き払い高齢者住宅へいく終活が終了した92歳の婦人との交流。

「怒ると老け、笑うと蘇る」というマドリーヌの言葉。人生って一瞬だよな、一瞬一瞬を味わい尽くすしかない。マドリーヌの人生も元夫のアソコを焼き尽くしたり、13年も服役したり、最愛の息子をベトナムで無くしたり彼女の戦いはリーヌ・ルノーの戦いとそのまま重なる。その怒りと恐怖とその必然性から歩まざるを得なかった彼女の人生も最後は笑顔で終える事が出来るのだろうか。ならば何も人生恐れる事は無いのかもしれない。

あとシャルルに101万フランは貰いすぎだと思う。最後だけいらん、と思った。

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