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デビュー戦に6年ぶりの復活

今から約10年前、僕が本気でダンスに打ち込んできたチーム【BearKnuckle(ベアナックル)】の話を一つ。


BearKnuckle当時テレビ番組(DANCE@HERO)ダンスコンテストの空きチーム(キャンセルチーム)の穴埋めとして結成されました💡



ベアナックルの由来はアニメマキバオーのベアナックルから。




みんなから期待されてないけど、ここ1番で何かやらかす。



そういったチームで、数々のコンテストを掻き乱してきました!

【ヒップホップとブレイクの爆発的化学反応】


それをテーマに新しい挑戦をしていましたが
でかいコンテストではあと一歩で負ける
個人賞止まり。

そんな中、あるイベントでダンス界の神様 坂見誠二さんにこう言われました。


『ベアナックルは凄いよ!新たなことしてる!でも勝てない。なんでかわかる?
日本の審査員がどう評価していいかわからないんだよ。
だから、海外行って結果残して帰ってきてギャフンと言わせな!今はアメリカより台湾が熱いから!』

その一言を聞いて、すぐに台湾に行きました。


台湾の言葉なんか喋れないのに。

海外で世界一になって、日本のダンサーに新しい風吹かせてやるんだ!

当時選んだ台湾のコンテストは合計3回行われるシステム。

得点の高い順から残り、3回目の決勝大会に進む。

1回目は、見事に一位通過!



台湾のお客さんからも大歓声を頂き、
台湾テレビ局からも撮影が来ました。
もちろん言葉わからない。けど、そこはノリw
タイキが大爆発w

そして、2回目。

またまた台湾へ。



というか、渡航費だけでもかかるんだけど、

今までのチームのギャラは何があった時のために
貯金していて

そこから切り崩していた。

2回目も、



見事に一位通過!


無事に決勝大会進出!



見えてきた、見えてきた。

世界が見えてきた。

次は何週間後に控えた決勝大会。

ここには、台湾の有名アーティストや芸能人、企業の方、など
各界の著名人が審査員に。

よーし!

見せてやるぞ!

死に物狂いで練習してきた成果を!

お客さんの期待度もマックス!

現地のベアナックルのファンの方もついてくれてる。

よし、いくぞ!



内容はパーフェクト!!

パフォーマンス後、審査員も会場もバカ盛り上がり。



行った。
絶対行った!

日本に持って帰って、新しい革命を起こす。

エンディングで

2位で呼ばれたのは

『BearKnuckle』

え?

誰もが顔を見合わせてる。

会場も白けてる。

俺ら呼ばれたの?

現実を受け入れられなくステージに向かわない
ベアナックル。

何度もコールされて、ようやくステージに。

この時のふてくされようは半端ではなかったであろう。w



優勝は、いつも2位だったチーム。

ラストで奇跡の逆転劇。

そんなことある?

優勝チームは、台湾のテレビ番組に1年間レギュラー出演。、

そんなこともあって、
色んな面倒くさいこともあるだろうから

自分達じゃなかったんだ。

そう言い聞かせて、

その夜は、すべての貯金を台湾の夜に当て込んだ。



これも、一つの思い出だな!!

俺らは優勝だよ!

楽しかったよ!!ありがとう^^




みんなが、笑って泣いた。

それがベアナックルで本気で挑んだ最後のコンテストでした。

そこからは、呼ばれたイベントだけ遊びで出るような感じ。

それぞれの仕事もあり、考えの方向性も変わり

解散。

自分とタイキとフレクションはGOODmenとして活動。



その後、GOODmenも解散して

今に至る。

とまぁそんな感じです!

前置きはながくなりましたが

ここからが本題、、、

チームの復活はどこかしらであることで

その復活を

ARAのプロレスデビュー戦にしようと

ひっそり企んでたわたくし。


プロレスを始めた時からチームメイトには伝えていました。

でもって、その時が来ました!

『7/9 後楽園ホール決まりました!』

忙しいみんなが二言返事で

了解です!

と。

夢は強くイメージして、

動いていたら達成する。

またチームメイトにも教えて頂きました^^




色んな思いが込み上げてきて、

後楽園ホールで踊り出した瞬間泣いちゃうかもなぁ。

#いまこれを書いてるの時点で涙堪えてる電車

自分がプロレスデビューするもう一つの使命は

ベアナックルを再び集めること、

そして当時の生徒やファンの方にも楽しみや喜びをシェアすること。

そう思って残り1ヶ月、

プロレスもダンスも追い込んでいきます!!


プロレスデビューへの道のり
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