見出し画像

別姓でもどうってことない。子どもは気にしない。

事実婚・別姓での子育ては一種の社会実験みたいなものだと漠然と考えていました。子どもたちが成長した今、実験結果を振り返って現状を一言にまとめると「別姓だからどうってことはない」と思います。今日はそういう報告です。

(税金とか相続とか法的なことは別にして、生活や子育ての実際のところについての話です。法的には、やはり不利益や不便があります。どういう生活スタイルをとるかによって、その不利益や不便の影響度合いが変わると思います。)

■ 親は良いけど子どもはどうなるの?

「親は自分の考えを通してそれで満足かもしれないけど、子どもがかわいそう」という批判的な声を、結婚当初はよくいただきました。

何をもって「かわいそう」と見るか。「別姓夫婦の子どもはかわいそう」というのは単なる大人の思い込み、偏見なのではないか?両親が仲良く助け合って元気にしていれば、その家庭で育つ子どもがかわいそうなはずがない。姓がどうとか関係ないやろ、と思っていましたが、まったくもってその通りでした。「変わった親で君たち可哀想になぁ」と子どもたちに言いに来た人はいなかったし、だいたい他人の家庭に関心を持ち続けるほど、皆さん暇ではありません。

うちの子たちは、ある時期、両親とも仕事がたいへんで遅くまで連れまわされたり、休みの日ものんびりできなかったり、はげしく働いている割に貧乏だったりしてそれは結構かわいそうでしたが、そのことと姓は関係ない話です。

子どもがいじめられるのでは?」という善意からの心配もありました。

でも、逆に、友だちの両親の姓が違うことについて気にする子どもっています?子どもにとってはどうでもいいことじゃないかな。子どもにとってはそんなことより大事な関心ごとがたくさんあるでしょう。

何かのきっかけで「○○くんの父ちゃんと母ちゃんは名前が違う!」と気が付いても、たぶん「違うんだって」「へー」で終わります。小学生くらいで、さらに「なんで違うの?」と聞いてくる子がいたら、それは相当鋭い子どもさんです。そして、もし聞かれたら「そういう家族もあるんよ」と答えます。子どもはそれでだいたい「なるほど」と納得してくれます。そもそもイジメというのは、いじめる側が受けているストレスや不安や攻撃性など、もっと違う仕組みで起こるんじゃないでしょうか。

「別姓が理由でいじめられたりからかわれたことってあった?」と子どもたちに聞いたことがあります。「そんなん関係ないやろ。もしいじめられたとしてもそれは別姓が理由と違うやろ。」長男は小学生の時、そう言ってました。確かに、子どもどうしのトラブルはあったけど、親の姓なんか全然無関係でした。

 夫が気の毒?

一方、夫の同僚(男性)から夫に対して「・・大変ですねぇ」という揶揄もあったみたいです。

つまり、「奥さんが別姓にしたいって言ったんでしょ?尻に敷かれて大変ですねぇ」というニュアンスです。しかし、その見方は夫の主体性や自己決定を軽んじていると思われ、失礼な話です。最初は提案された側だったとしても、考えた上で自分の意思で承諾したのに。

ちなみに、女性たちからは当時も「かっこいい」「頑張って」という声の方が多かったと記憶しています。あれから30年、今なら「別姓にします」という男性を、男性たちもシンプルに祝福あるいは自然に「あ~そうなんだね~」と受け入れられるでしょうか。同姓か別姓か、実際の生活の中では全然大きな問題ではないのだから、違和感なく受けとめられる社会であってほしいです。


* 1992年初版。まだ政治家ではなく気鋭の弁護士だった福島瑞穂氏による。自分がどういう結婚をして、どんな家族を作っていきたいのかを考える上で教科書的な本となった。「楽しくやろう事実婚」という著者の明るいメッセージは20代前半の私を勇気づけてくれた。懐かしい一冊。



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?