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【ドドソソララソ】に感動したわけではないけど泣いた。

「恋愛ワードを入力してください」に出ていたイ・ジェウクつながりで「ドドソソララソ」を観た。お嬢さん育ちのピアニスト、ララ(コ・アラ)と謎の青年ジュン(イ・ジェウク)のラブストーリーである。コ・アラは明るくて天真爛漫な役がぴったりだし、イ・ジェウクもシャイな笑顔が素敵。純真なララと不愛想だけど優しいジュンのカップル、ひとことで言えば微笑ましい。随所に流れるピアノのメロディーが美しくて、気楽に観られるドラマである。

・・・だが、なんとなく後半からはストーリーにまとまりがない印象。特に最終回、特にラスト数分の急展開は無理がありすぎる。最初からこういう脚本だったのか、それとも視聴者の要望を反映したのか?

つまり全体を通して印象は薄く、何度も観たいほどではない。それなのに、私は最終回を観て久々に泣いた。ドラマに感動したわけでは全然ないのだけど、なんだか泣きたい気分だったんだと思う。そういう時ってあるよね。韓ドラの俳優は大人も子どもも男も女も見事にボロボロと泣くから、つられて感情を解放しやすくなるのかも。 

他愛ない会話を交わしただけだけど

泣きたかったのは、たぶん、その日に行った居場所活動(子ども食堂)のせいだ。

夕食後、とある小学生に年上の子たちが「お前も昔は無茶苦茶やったでな」と話をしていた。言われていたのは、何年か前「どうせ僕なんて!」と叫んで家を飛び出したり、おもちゃをぶん投げたりしていた子だ。「ほんまやで。私、あなたを止めようとして尻もちついたことあるし」「キレて壁にバーンとぶつかったりドアを力まかせに閉めたりしてたよな」と思い出話をしたら、彼は「マジで?」と驚き、恥ずかしそうに笑った。

子どもたちが荒れを見せるとき、親でも教員でもない、ただそこにいるボランティアの大人として、どうしていいか分からないことがある。不安や切なさを全身で訴えている子どもをなんとか受けとめてあげたいけど、その瞬間瞬間はうまくいかないことの方が多い。胃が痛くて不安で、時間が長く感じられて、ボランティアってこんなに苦しいものだったっけ?と一人で苦笑いしたりする。

でも、そうやって困っている間にも、小さな変化を積み重ねて子どもたちは育っていく。思い出話を聴きながら照れ笑う彼の表情を見て、なんだかとてもホッとした。子ども食堂をやってきて良かったな、しみじみ思った。

気持ちが緩んで家に帰って来て、いつものようにnetflixで韓ドラを観る。ドドソソララソの最終回は無理筋だったし、子どもたちの成長とも何の関係もなかったけど、ドラマの中の美しいピアノの音色を聴いていたら自分のことも労いたくなった。おつかれ、自分!肩の力が抜けて、そしたらめそめそ涙が出てきた。幸せな夜だった。

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