見出し画像

未練の昇華③

付き合うことになってからも盲目期間は3年続いた。すなわち、別れることを決めたその日ですら大粒の涙をこぼしながらも"ぞっこん"だった。
よく恋愛感情の賞味期限は3年というが、もし今でも付き合っていたとしても、熱量はほとんど変わらなかったであろう自信がある。

彼への恩は数えきれないほどある。
キリがないので抜粋するのであるが。
一つ。
私は、いじめが原因で中学受験をするも結局馴染めず孤独な青春時代を送り、20歳そこそこで母とそりが合わず家を追い出され、社会人となるも仕事ができず毎日バチボコに怒られていた。絵に描いたような社会不適合者の私の、マイナスに振り切りまくっていた自己肯定感を育ててくれた。まさにミラクルである。
決して丸ごと愛する、そのままでいいなんて綺麗事は言わなかった(と思う)けれど、つらつらとメンヘラ発言をする私の話を聞き、ソクラテス式問答法のような切り返しをして向き合ってくれた。いま私が【課題の分離】を意識して行えていて、メンタルコントロールが図れるようになったのは、彼が根気よく導いてくれた賜物だと思っている。
二つ。
彼は人を楽しませる天才だった。本職の方に怒られそうだが、芸人さんと付き合ったらこんな感じなのかなと真剣に思っていた。それに、彼には驚くほどの、話や知識の引き出しもある。交際期間の2/3はフリーターであり、私としても金銭的に尽くすことについては一線を引いていたこともあって、貧乏デートが殆どだった。鴨川を眺めながらパンを齧るだけのデートも少なくなかった。それでも一瞬一瞬が最高に楽しかった。私は正直一文無しになって路上生活を送ることになっても彼と一緒にいることができれば幸せな自信があった。前述のエッセイの著者に心底共感する部分であるが、彼がもし病気になって指一本動かなくなったとしても、毎日語りかけながらケアをし、愛し抜ける自信があった。「私より先に死なないでほしい。一緒に死ねるスイッチが手に入るならどんなブラック労働でも喜んで耐える」と大真面目に話をしていたほど、正直彼と、彼の望んだタイミングで生を終えることも選択肢の一つにあった。
三つ。
私の貧弱なボキャブラリーでは表現し得ないが、とにかく彼は同い年にも関わらず桁違いに人格が整っていた。そんな彼を心底尊敬していた。そして、私の中に人格を磨くというオープンエンドな目標を形成してくれた。人は常にいろんな感情に振り回されがちで、人生にはいろんな誘惑があり、ハレの日もあればケの日もある。でも私は人格を磨くということを人生のテーマに設定しているため、例えるなら免震構造のように、どれだけ激しく揺れようが、もどるべき定位置を設定することができている。空っぽだった私に揺るがぬ軸を作ってくれたこと、真の自律の素地を作ってくれたこと。

彼は私の人生の恩人だ。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?