記事に「#ネタバレ」タグがついています
記事の中で映画、ゲーム、漫画などのネタバレが含まれているかもしれません。気になるかたは注意してお読みください。

映画「あの頃。」感想文

とにかくネタバレだけなので読まないでください。責任はとりません。










映画「あの頃」を観た時、アイドルを応援する側にいる人は少なからず仲野太賀演じるコズミンに自分を見出してしまうのではないだろうか。

あの映画の肝であり、オタクが持ち合わせる嫌な部分を一手に引き受けるコズミンは映画が終わるその瞬間までアイドルを自分の側に置いていた。
きっとアイドルオタクは、それがどれだけ幸せなことか、彼がどれだけ救われていたかを真実に近い形で受け止めることができる。いかに彼の性格が悪くみっともない生き様を晒そうとも、そんな人をも救うのがアイドルなのだ。

彼の死に際で、動かない手にアニメキャラクターのフィギュアを、耳にイヤホンを付けてモーニング娘。の恋INGを聴くコズミンからは何の表情も読み取れないのだが、例えば死の淵にいる時、本当に一人でしかやり過ごせない時に、何がその人の側にあるのかが描かれていた。かたや3次元に起こした2次元のアニメキャラクターのフィギュア、かたや音声ファイルに変換された人間の声。どちらも本物ではない、存在しない人の形と声がコズミンを最後まで支えていた。

私は、そこに存在しないものに救われる人がいることを改めて理解した時、それが他人事ではないのだと実感した時、じわじわと心にこみ上がってくるものを感じた。

この映画は実話を元にしている。
私は読んだ記憶も薄まるくらい前に原作を読んでいたのだけど、劇中のあるシーンを通してコズミンがTwitter上で知っている人だと気づいてしまった時、映画に集中しようとする気持ちと現実との地続きである衝撃の両方をいっぺんに抱えることとなり大変混乱した。第4の壁を視聴者が意図せず壊してしまうなんて体験は初めてだったのだ。

そういったわけで今まで観てきた数々の映画に登場した(キャラクターだと思っていた)人が死んだときの悲しみではない、自分の人生の中に居た人が死んでしまったときの感覚と結びつき、観ながらにして彼が現実にいたこと、しかもこの世を去った人であることを提示された私は、分類しようがない気持ちを持て余しながら映画を見届けた。

映画を見終わった今は、元モーニング娘。のメンバー田中れいながこの映画を観た感想として上げた「なんかわからんけど悲しくもなったし」と言う脚色のない言葉を、私が抱えたその感情を言い表す箱の上に置いている。

気軽に勧めるのが難しい映画となってしまった。
私にとってこの映画は大の男が集まって楽しくするのを眺めるより、むしろその後ろにある、実体を持たない創作物がいかにして弱者の日々の錨となり、弱者と人生、そして弱者同士を結びつけているかを見つめ直す映画となりました。

そんな理由もあってデリケートな部分を迂回するように「あややが凄い」と言ってしまうくらい話の本筋を語るのが難しい(いや、本当にあややとあややを演じた山崎夢羽ちゃんは凄いのだけど……)

最後にあとひとつ、この映画の中でも特に記憶に残っている、コズミンの生前葬イベントで皆でモーニング娘。の「恋ING」を一緒に歌いながらお互いを見やるシーン。あれは美しかったなぁ……本人が気づかないところでお互いを観ているというのはまさにアイドルを観るオタクの所作そのもので、簡単には届かない気持ちと確かに繋がっている思いが昇華されている。恋ING自体が相手を思いながら関係性の愛おしさを歌った曲だからこそ余計に盛り上がってしまうのかもしれない。今このタイミングで公式がPVなりを上げないのが悔やまれる。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?