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発達親子の生活(回顧録・癇癪玉との闘い)

どうも。アラフィフおばちゃんです。
最近、近くの席のオペレーターさんがお客様に対しての沸点がめちゃくちゃ低くてどんどん話し方が悪くなっていくのを聞いているのが苦痛です。

さて、そんな話は置いておいて・・・というか、ASDの息子の幼少期について少し書こうと思います。

息子は「ビリリダマ」

知ってますか?「ビリリダマ」
ポケモンに出てくるやつです。
私の親戚からは「癇癪持ち」と言われてました。まぁ、ここまで書いたらどんな赤ちゃん(幼児)だったかわかりますよね。

とにかく、泣く!
喉が裂けるんじゃなかろうかと思うほど、泣く!

ミルクをあげても飲まない。おむつをチェックしても濡れてない・・・
君は何がそんなに気に食わないんだい?

息子の発達障害を頑なに認めなかった私の親族も、流石にこれには参ったようで「〇〇神社で虫抜きのお祓いをしているらしい」とか「枕元に包丁を置いておくと夜泣きが止まるらしい」など、神や迷信めいたことにまで手を出す始末。

今になって思えば、極度の人見知りと聴覚過敏がある息子にとって「初孫」で浮かれて、突然抱っこされたり触られたりするのは苦痛以外の何物でもなかったわけで。
私だってもうアラフィフですけど全然知らない人の中に放り込まれてガンガン話しかけられたら、その夜は夜泣きどころかおねしょもしちゃいそうですもん。

息子の「ビリリダマ」は、言葉で意思の疎通が取れるようになるまで続きました。
息子は1歳の時点で、発達障害の研究をしている国立大学の教授のところへ隔週1回通い、療育に近いことをおこなっていました。

そこで教授からアドバイスされたように、息子をよく観察していると「これをすると泣くんだな」とか「昼間にはしゃぎすぎても泣くんだな」とか大体のトリガーがわかるようになってきて、わがままで泣いている時は「だめなものはだめ」と伝えて、障害特性で耐えられなくて泣いている時は、できるだけ息子の意思に沿うよう行動していました。

買い物に行くだけでも、息子がその日行きたいスーパーではなかっただけで床に寝転んで大泣き。
「泣きたいのは私の方だよ・・・」と思ってとりあえず撤退するために抱き上げようとしても、バタバタ動いて確保できない。

周囲の視線は冷たいし、聞こえよがしに「早く抱っこしてあげればいいのに」など言われることもありました。

こんな、カツオの一本釣りみたいな状態で抱っこできたらとっくにしてるんですわ。

比較的早く出産したこともあって「これだから若いお母さんは・・・」とか言われて泣きそうになったことも何度もありました。

発達障害は外見からはわかりません。特に高齢の方には理解されないことも多いです。
そのため「育て方が悪い」とか言われることも多々ありました。
息子が大学生になってからも、ひどい偏見によって息子が傷つけられて大学まで乗り込んでいったこともあります。

そういえば、小学校にも中学・高校にも乗り込んでいったなぁ・・・めっちゃモンスターペアレントだと思われてただろうな。

でも、私が守らなければ誰が守る!

と守り続けた結果、息子はとても優しい子に育ってくれました。
あの頃の「ビリリダマ」はもういません。

我が子が何故泣いているのかわからない時、ママも泣きたくなりますよね。私も「なんで私だけこんなに大変な思いをしなければいけないんだろう」って何度も思いました。
集合住宅で夜泣きされる日々が続くと本当にいたたまれない気持ちになりますよね。

「赤ちゃんは泣くのが仕事」とか言われたりしますけど、そんな言葉も綺麗事に聞こえて、「うちの子はもう職人レベルなんですけど!」って感じですもんね。
泣いてるのもしんどいのかもしれないけど、泣かれるのも相当にしんどいですよね。

でも、いつか終わりはきます。それは何年後になるかはわからないけれど。うちの息子は3歳位で二語文が話せるようになったので、そのあたりから少しづつ癇癪を起こすことはなくなっていきました。
もちろん、個人差はあると思うのでもう少し長く癇癪に付き合うことになるママもいると思います。
誰も味方がいないと思って悩んでいるママもいると思います。
でも、私はそんなママさん達を応援してます。遠くからでも、応援してます。味方は必ず近くにいるとは限らないけど、絶対にいることを忘れないでくださいね。

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