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ロボット(R.U.R. エル・ウー・エル) その1

 ヒューマノイドやAIについて考えていたら、ふと積読状態だったチャペック作「ロボット(R.U.R.)」が目に留まった。ロボットという言葉はこの作品の中で生まれて広まったと知り買ってみたものの、戯曲というスタイルにあまり興味が持てず斜め読みで終わってしまっていたこの本を、今回改めて読み直してみたらとても示唆に富んで奥深いSF作品で一気に読み切ってしまった。ロボットという作品を通して、人間とは何かを考えようと思う。

 ここに出てくるロボットは機械で作られているのではなく、人間そっくりの臓器を持つクローン人間みたいなものだ。しかし人間そっくりにすると作るのに時間がかかるので、R.U.R.社は必要最小限の機能だけを持つ見た目は人間そっくりのロボットを大量生産することに成功した。ではロボットにはむだで必要ないとされた人間の機能とは何か。

 人間というものは、例えば喜びを感ずるとか、バイオリンをひくとか、散歩に行くとか、そもそもいろいろ多くのこと、本来はむだなこと、をする必要があるのです。

 人間の代わりに労働者としての役目を担うロボットには、喜びを感じることや愛の気持ちはむだなものとされた。こうして意志を持たず、情熱も魂も持たない、働くだけに特化した人間のようなもの、が作られ続けた。ロボットが人間の代わりに働いてくれるので、人間はもう働かなくてもよくなる。

 …ロボットが、小麦でも、布地でも、何もかもうんと作り出すので、そう、物にはもう値段がなくなるのです。そのときは誰でも必要なだけ取りなさいということになります。貧困もなくなります。そうです、仕事もなくなります。でもその後ではもう労働というものがなくなるのです。何もかも生きた機械がやってくれます。人間は好きなことだけをするのです。自分を完成させるためにのみ生きるのです。

 貧困がなくなるなんて、一見素晴らしい世界に思える。ロボット万歳!仕事をしなくていい世界では、24時間が自分のものとなる。もう家族のために仕事をしたり、家でご飯を作ったり、掃除をしたりしなくてもいい。人間は、24時間好きなことだけをして、自分を高めていけばいいのだ。

 子育てに追われ自分の時間なんて持てないとき、私も心の底からそんな世界を求めてた。でもそういった世界になったら、私みたいな人間は、夏休みの学生みたいに昼まで寝てだらだらとした毎日を過ごしてしまいそうだし、物に値段がないならば贅沢三昧の旅に出たり、美味しいものを食べ歩いたりしてしまうだけの日々になりそうだ。何も考えず、何も悩まず、何も努力しなくていい世界、これが理想なのかと問われる。
 そんな理想の世界が実現したとき、恐ろしいことが起こった。女性に子どもができなくなってしまったのだ。物語はそこからロボットの反逆が始まる。




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