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LIFE IS COMING' BACK

小沢健二LIFE発売30周年記念の、LIFE再現ライブに参加してきた。

LIFEは、私にとって特別なアルバムである。でも、ライブ開催の2日前の夕方に、5度目の抽選結果の通知メールを受信し戸惑っていた。正直な話、当選するとは思っていなかったし、チケットは1枚しか申し込んでいなく一人でライブに行った経験が無かったのと、そして何よりも、現在の私がとてもウキウキしたい気分ではなかったからだ。一方でツイッターでは、最後の望みが絶たれた者どもの阿鼻叫喚のメッセージが飛び交っていた。悪いが、ウキウキせずともこのチケットを譲る選択支はない。ついでに申し込んだライブTシャツとともに、私は浮かない顔でローソンへと引換券を受け取りに行った。

ライブ当日、オザケンのライブにも、私の外出にも、全く興味を示さない妻と子供を横目にして、低気圧の影響で重たくなった足取りで家を出た。私には魚群探知機のような正確な雨雲レーダーがあるので、タイミングを見計らいつつ、雨雲を避けながら東京駅から皇居を突っ切って武道館に向かうことにする。世の中は台風で大騒ぎしているため、のんきに皇居を散歩している日本人は私くらいなもので、周りは皆外国人観光客だった。とおり雨どころでは無い、ゲリラ豪雨が染めた石畳と日本庭園は、言の葉の庭のようにとてもキレイで、多くの観光客は、石垣しか存在しない江戸城では無く、新海誠の作品に思いを馳せているのではないかと考えながら、予習のためのブギーバックを聴きつつ、天守閣から外門の道を行き、あれから30年も歳をとったオザケンが待つ武道館に急ぐ。

武道館の周りはすでに盛り上がっていて、すてきな歳の重ね方をしたと思われる大勢の子猫ちゃんと、一部の化け猫とが、銘々の想いを胸にウキウキとしていた。

肝心のライブは、オザケン本人も言っていたように「まるで同窓会のような時間だった」という感想が多く寄せられている。確かに、30年ぶりの同窓会で、当時の校歌や合唱祭で発表した歌を皆で歌うようなエモさがそこにあった。ただし私に関して言うと、30年前からLIFEは聴いていたが、ライブに行くの始めてで、過去にLIFEのツアーで盛り上がった記憶は持ち合わせていない。また、30年前にLIFEを共に聴いた仲間や恋人は隣にいなく、今それを一緒に楽しんでくれる人もいない。懐かしい再開を楽しみながらも、本当の意味では同窓会を楽しみきれないやつがいるように、そんなところまでリアルに、まるで同窓会のようなライブだったんだなと思う。

なんやかんやライブは楽しかったし、オザケンって本当に実在してるんだという感動もあった。スチャダラもすごく好きだったので、初っぱなに会場をあたためるために歌ったサマージャム'95もよかった。でも、ライブ中に最もエモい気持ちになったのは、たった一度のこのライブの同じ空間に、もしかしたら岡崎京子も招待されてるんじゃないかと、何の根拠も無い勝手な妄想が、フッとうかんだときだった。人それぞれ、いろいろな30年間の過ごし方をしてきたわけで、誰だってウキウキで、甘く素敵な、機嫌無敵なデイズばかりを過ごしてきたわけでは無いからこそ、再開を楽しむこと、喜びを他の誰かと分かり合うことが出来るのかもしれない。そして、それだけがこの世の中を…

オザケンは、ライブ中にたびたびトークを挟んだが、昔話はあまりしなかった。過ぎ去った30年間はあっという間だったけど、今日からまた30年後の未来に向けての30年はすごく遠く感じるよね。でも、30年前だって30年後、つまり今日のこの日は、すごく遠かったのに、今日こうしてみんなに再開できることが出来て本当にありがとう!みたいな感じの話をした(だいぶ記憶は曖昧)。そして、こういう楽しみが待ってるから毎日を頑張れる、10カウントしたらライブはおしまい、みんなの日常に帰ろう!と、みんなでカウントダウンをして終演を迎えた。

台風の勢力が弱まったおかげで、家路の足取りはすこし軽くなった気がした。

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