箱男
『箱男』は、都市の迷宮で匿名性に身を包む現代社会の不条理を映し出す鏡、段ボール箱の覗き窓から覗く世界は見る者と見られる者の境界を溶かし、アイデンティティの迷路へと誘う 断片的な語りが織りなす物語は、読者の想像力を刺激し、現実と妄想の狭間で揺れ動く 安部公房が描く、都市の孤独と人間存在の曖昧さを鮮やかに浮かび上がらせる傑作である
しかしだ、その魅惑的でインパクトのあるタイトルとは裏腹に、ドグラ・マグラのような実験的な構造に、不安定で流動的なアイデンティティによるつかみ所のなさと、読者に対して積極的な解釈と思考を要求する難解さが故に、読み進めること自体が難しく、読んでも私には理解が追い付かない、そんな小説だった
安部公房の、極めて科学的な思考を文学的に表現するシュールで奇抜な複雑怪奇な物語が魅力で『砂の女』や『壁』が特に好きなのだが、晩年の作品の方が物語として読みやすく、遺作となった『飛ぶ男』も穏やかにぶっ飛んでいてとてもよかった
さて、そんな安部公房の『箱男』が映画化されたと知って、とても複雑な気持ちになった
『砂の女』も複数回映画化されているそうだが、一度も観たことがない そもそも谷崎潤一郎の『春琴抄』も、川端康成の『雪国』も、夏目漱石の『こころ』なども、映画化されていることは知っているが、観たことも観たいと思ったこともない 文学作品として少なからず自分の中ですでにイメージができあがっているものを、改めて映像で観てみたいとは思わないからで、そこにはエンタメとして消費したくないと言う、面倒くさい気持ちがあるのかもしれない
非常に曖昧な個人的な線引きなのだが、例えば『成瀬は天下を取りにいく』が映像化されてサブスクで視聴できるなら観るかも知れないけど『海辺のカフカ』が映像化されたとて観たいとは思わない そんな私は『箱男』の映像化も望んでいなかった
がしかし、最近映画館に行くこと自体が結構好きなので観てきました(クソみたいな前置きですみません)
初めから負け戦なのは決まっているので、レビューをするのは心苦しいのだが、私にとって『箱男』で最も印象的だった少年Dのエピソードが丸ごとカットされているのが残念だった 何故それが印象的かというと、とてもエロいからで、手製のアングルスコープを使って隣家に住むピアノの女教師のトイレ姿を覗こうとした少年Dは、あっさりと犯行がバレてしまい覗きは未遂に終わり、逆に女教師から恥辱を受けるというエピソードのことである 親に内緒にする代わりに、一人で部屋に閉じ込められた少年Dは全裸になることを要求され、それを女教師に鍵穴から覗かれるという話で、少年Dは興奮し勃起した恥部をさらすことに耐えがたい屈辱と羞恥心を覚える 「見る/見られる」の関係性や、覗きという行為の意味を探求する重要な場面なのに、それがない
葉子を演じた女優さんは美人で、裸姿はとてもキレイで、それはそれでもちろんいいんだけれど、そういうエロさとは違うんだよ なんだかこっちが見透かされて誤魔化されているようで困ってしまう
あと一つ、あのぶっ飛んだ寓話もない
息子(名はショパン)の結婚式で馬車が必要なのに、馬を借りるお金のないため父親が箱をかぶって自ら馬車を引く しかし、体力が無く時間がかかってしまい、ショパンは我慢が出来ずに途中でおりて立小便をする それを花嫁に見られたことがもとで結婚は破談になる 父子は町を出て、新しい生活を始める ショパンはピアノを弾き、裸婦像を描き、父親は箱をかぶってそれを売り歩く ショパンは切手を発明するが、郵便事業の国営化で贋造者とされてしまう 最終的に、父親の箱は赤い木皮製となり、後に郵便ポストとして受け継がれる…
いや、確かにこの抽象的でぶっ飛んだ寓話を映像に組み入れるのは無茶だけれど、どうせチャレンジするなら事故るつもりで挑んで欲しかった
ちなみに、映画を視聴した後に、原作を再度読み直しました すると上記の不満は垂れたけど、思っていた以上に原作に忠実に映像化をしていて、負け戦なりの努力と苦悩は十二分に垣間見られたし、映像は前衛的でともてよかった(偉そうですみません)
また、最後のエンドロールでのスマホの着信音の演出は、現実に引き戻される感覚と、スマホの画面を覗き窓に、匿名で他人のSNSを覗き見たり攻撃しているあなたも箱男なのだというメッセージ性は素直に面白いと思った
でも、それだけだとどうしても話がキレイすぎる、匿名の箱をかぶった引きこもりのネット民が皆箱男なのでは無くて、少年Dや寓話のような、もっとドロドロのした糞溜のよう変態的な素養と渇望を抱えてないと、本物の箱男には、そう易々とはなれないのだと思う