教育と文化


 
筆者はこれからの教育の在り方として、伝統的な学習観に基づく教育ではなく、新しい学習観に基づく教育を提唱している。
伝統的な学習観に基づく教育は、知識詰め込み型の教育のようなものである。
この教育のもとでは、学び手が受動的な存在であり、有能でないと見なされている。
そのため、教え手はできる限り多くの知識を伝達し、学び手が正しく学ぶことができているかテスト等で確認しなければならない。
一方、新しい学習観に基づく教育のもとでは、学び手は生活上の必要をみたすために環境に働きかけ、効果的な手続きを学ぼうとする。
さらに本来知的好奇心が強く、そうした手続きの意味を積極的に理解しようともする。
学び手は主体的で有能な存在といえる。
教師が学び手の主体性や有能さを引き出すためには、肯定的な学び手のイメージを持ち、教育的に意味のある知的所産を生じるような活動を企画したり提案したりする創意工夫する必要がある。
 
稲垣・波多野は次のように述べている。


「人びとが日常生活で示す有能さの多くは、文化によって支えられている」(p.84)


「その文化のなかで必要とされる知識や技能を、誰もが確実に獲得できるよう、長期にわたって少しずつ、その『基礎』があらかじめ形成されているように準備したり、そうした知識や技能があると人びとに信じさせ、その獲得を動機づけたりする」(p.98)



上記のことから、新しい教育観は文化によって支えられていることが分かる。
日常生活の中にも数多く文化はあるが、学校やクラスの中にも多くの文化が存在すると考える。
新しい教育観のもとで行われる教育を目指す上で、教師は文化とどのように関わると良いのだろうか。

引用参考文献
稲垣佳世子・波多野誼余夫(1989)「人はいかに学ぶか 日常的認知の世界」中央公論新社

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