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むかし僕が死んだ家 東野圭吾著【読書感想分】

不気味な小説を読んでしまった。昨日読了したが、夜中3時にトイレに起きたとき、行く先に見える廊下が恐ろい。廊下の電気だけ明るくしたせいか、いや、いつものことじゃないか、いつもと同じはずなのに。

この小説の存在は、先日読んだ『東野圭吾公式ガイド』で知った。物語概要を読み、私の好きそうなミステリーだと思った。東野さん自身は解説で『隠れた自信作』と言っている。本屋に立ち寄ったとき、平積みされているのを手にとり、冒頭を数行読みこれは面白いと確信しネットで注文、1円で買う。(すみません、経済事情により定価で売る本屋では買えないのです)

『むかし僕が死んだ家』なので主役の私が僕で、死者の立場から語るのかなと思ったが、どうも違う、死にそうにない。中盤から出てくる少年のことを言っているのかなと、途中まではタイトルを気にしつつ読み進める。

昔の彼女、沙也加から一緒に来てほしいと頼まれ、訪れた古い屋敷から、少年の日記が見つかる。その辺りから不気味さが増す。この日記の少年は今は生きているのか、死んでいるのか、沙也加との関わりは何なのか、不可解と不気味さが読者である私にまで押し寄せる。

沙也加は小学校に入る以前の記憶が一切なく、その手がかりを得たくこの屋敷を訪れた。私はこの小説の概要を知った時点で、おそらく彼女は悲惨な事件を目撃したか、虐待を受けていた、その辛さから記憶を失ったと推測した。

文庫本が出たのが1997年だからか、かなり古いと思える情報があった。その一つ、虐待についての記述。虐待をする母親が、そのまた親から虐待、虐待までいかなくても愛情を持った適切な養育が受けられない状態だった割合は45%だと記してあるが、これは今には当てはまらない。

3歳の長女を衰弱死させた虐待事件の判決について、昨日朝日新聞の朝刊に出ていた。同様のケースついての割合は3割程度ではないかとした上で、虐待を受けた子への支援の見直しを提案していた。(なお、7割の虐待する親の背景については言及なし。特記な過去がなくても虐待する親が増えてしまったとも考えられる)

最後まで読み終え、最初に思ったのは、いくらなんでもこれはあり得ないというツッコミ。最大のトリックがちょっと現実では考えづらい、『科捜研の女』のマリコさんがいたら一発で見抜かれる(これもフィクション)。警察が捜査を中断せざるを得なかった事情もあるが、その理由もちょっと弱いと思ってしまう。

それ以外のトリックは、よくよく考えたら殆どが東野さん自身に誘導され、思い込まされたものであるといっていい。その一つに文庫本の解説者でもある黒川博行氏は読みながら気づいたそうだが、私はまんまと罠にはまり、最後の最後であー、これも、あれも、そういうことかと気付かされた。思惑通りにやられてしまった。

途中からほぼ忘れていてた不可解なタイトルについても、最後でつながる。あと最後の一文は好き。私はわかりやすいハッピーエンドより、こういう終わり方の小説の方が好きなのかも。

それにしても不気味な小説だった。不気味過ぎて、自身の創作を振り返るより前に、感想を伝えたくなった。そこにいるあなたにー。





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