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10/18  神峰山earth picnic 光であれ

僕の住んでいる大崎上島で一番高い山。神峰山。
今日は、広島の比婆山女子高校一年の生徒がやってきてその山に一緒に登るというプログラムがあった。
それは、peace quest-観光人に会いに行く-というもの一つ。
観光とは光を観ると書く。その土地の光を観て感じることこそ観光。
つまりこのプログラムは、大崎上島で光を紡ぐ松本幸一さんのガイドで島の間の峰に登り、大崎上島の光を体で感じよう。というものだ。


島へ向かうフェリー

生徒とのファーストコンタクトはフェリーに乗る前のバスの中。まっつん(松本幸一さん)のバスガイドから始まった。
ゼロ高に転学して得た一つの大きな気づきは、生徒と大人というのはこうもかけ離れた関係なのかということ。全日制高校の生徒だった間は、先生と生徒が離れていることに気づかなかった。先生は生徒とどう距離を縮めようか必死に考えるだろうし、多感な学生の時期にどうしたら力になれるのだろうかと不安になるだろう。この時バスで先生と生徒の両者を、第三者としてみてまたそう感じた。先生の表情には様々な葛藤が読み取れる。生徒にはまた高校生っぽい心の動きを感じた。

僕も自分が高一だったことや学校にいた頃を思い出しながら自己紹介をした。以前は全日制高校にいたけど通信制に転学して、島暮らしをしている、たまに海に沈む夕陽に向かって歌っている、とか。そんなことを言った。


神峰山に登るときのまっつんによるマインドセット、ガイドは本当に面白いものであり、自分がなぜここにいるのか考えさせられるものだった。

地球は48億年前に誕生している。そして神峰山は約4.8km。
この偶然の一致を利用して、一歩歩くごとに地球の歴史が100万年進む。としたのだ。スタートと同時に地球が誕生し、3分ぐらい歩いたところでようやく水が誕生する。そんなガイドだ。ゆえに、earth picnic。

木漏れ日と歩く生徒たち

頂上に到達するときとは、”今”を意味する。

今、現代。

地球の歴史を一歩ずつ知ってから感じる今は、知る前の今とは間違いなく違う。目の前に広がっている瀬戸内海の島々を前に、若い感性たちは何を思ったのだろうか。
我々が感じて欲しいことはもちろんあるが(自然が尊い存在だと気づき環境問題に関心を示すようになるなど)、自然の美しさを前に、もう彼女たちが感じることにまかせることにした。手放すことにした。
それに自分自身が感じていることに従って欲しいということもメッセージの一つだからだ。

神峰山頂上


僕はそんなガイドの補助役だった。修学旅行の一つとしてきたみんなに何ができるかなーとは考えていたけど。
自己紹介で歌を歌っていると言ったのが伏線になってしまったようで、
山を登る途中で疲れてきた生徒から、そろそろ歌ってくださいなんて言われるようになってきた。w 歌うのが好きとは言ったけども、いきなり歌ってと言われて歌えるほど僕の神経は図太くない。
また後で後でと、伸ばしていた。笑

が、帰りの頃、そろそろ歌わざるを得ない状況になってきて
ドライフラワーやさよならエレジー、さらにはドラえもんをも歌った。もっと歌った気がする。
歌うからには中途半端ではできない。まさかの神峰山下山中に熱唱する羽目になってしまった。9月にフェスで歌ってちょっとやそっとでは動じなくっていたからまだよかったが。

でも楽しんでもらえたようなのはよかった。
よかったしそれがきっかけでインスタでも繋がることができた。
(車で運ばれていて聞けなかったという子にインスタにあげてるよ、これこれで検索すると出てくる、という別れ際の一瞬のやりとりをしたところ、その日の夜にフォローリクエストが来たのだ。)

このエピソードは僕にとってかなり印象的で心が動かされたものだった。
成人に近づいている僕は、ゲストハウスのスタッフをしていることもあり、どうしたら年の離れた相手や共通点の見当たらない相手と深い部分から繋がることができるか、よく考えている。

この日は、歌って笑ってはしゃいで繋がった。
わかりやすく、シンプルだった。難しく考えなくともそんなものなのかもしれない。

年は2個下。

今後様々な出来事に遭遇するであろう高一の彼女たちが、自分自身の心に耳を澄ました望む選択を行い、光で在れることを願っている。


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