見出し画像

【「嗜む」のすすめ】皮肉とユーモア、そして創造力への挑戦に焦がれ本を嗜む

Harumiさん撮影

私達が密かに大切にしているものたち。

確かにあるのに。

指差すことができない。

それらは、目に見えるものばかりではなくて。

それらを、ひとつずつ読み解き。

それらを、丁寧に表わしていく。

そうして出来た言葉の集積を嗜む。



■テキスト

「人はいかに学ぶか 日常的認知の世界」(中公新書)稲垣佳世子/波多野誼余夫(著)

[ 内容 ]
遊びや職業活動に必要な知識・技能を身につけていくとき、人が必要を超えて上達を望み、理解を深めようとするのはなぜか。
日常生活での能動性と有能さを支えるものはなにか。
本書は伝統的学習観による「人間怠け者」説をくつがえし、「みずから学ぶ存在」としての人を実証的に描き出して、学び手の心的装置と文化の役割を探求すると同時に、「学習」のもつ暗いイメージを再考し、新しい学習観にもとづく教育のあり方を提言する。

[ 目次 ]
第1章 伝統的な学習観
第2章 現実的必要から学ぶ
第3章 知的好奇心により学ぶ
第4章 ことばや数を学ぶ種としてのヒト
第5章 文化が支える有能さ
第6章 文化のなかの隠れた教育
第7章 参加しつつ学ぶ
第8章 知識があるほど学びやすい
第9章 日常生活のなかで学ぶ知識の限界
第10章 新しい学習観にもとづく教育

[ 問題提起 ]
おもしろいです。

これは。

私たちは、学校教育で、教師から知識を学ぶ。

一方で、習わないこともたくさんある。

日常を生きる上で必要な基本能力を、私たちは、

「教え手なし」

で獲得できる。

学校に行かなくても、生きていく基本能力は、自然に備わる。

発達心理学と認知科学を専門とする著者は、人間は、これまで、一般に考えられてきたよりも、ずっと有能な学び手なのだという。

現実的必要から学ぶとき、人は、教師から学ぶのとは、異なる強力な学習をする。

この本は、そうした日常的認知の能力を解明しようとしている。

[ 結論 ]
例えば、英語学習である。

日本で英会話学校に通ってもなかなか身につかないものだ。

しかし、アメリカ社会に単身で放り出されて会話能力が生存に必須の状態になれば、多くの人は、自然に短期間で、英語を習得してしまうだろう。

メキシコの路上で商売をするストリートチルドレンたちは、学校に通ったことがないのに、おつりや利益率の計算ができる。

それは、彼等にとって、生存に必要な重要事項だからである。

研究から判明した日常的認知による学習の2つの条件が、整理されている。

1.その「必要」は、あくまで学び手自身が、自己の現実の問題を処理する上で、不可欠だと実感したものであること。

2.「必要」によって作り出された目標と、それを達成する手段として学ぶこととの間に、切り離せない関係があること。

勉強の成績が良かったら、両親から、お小遣いがもらえる、という状況は、この条件にあてはまらない。

お小遣いをもらえる条件は、他にもあるから「切り離せない」関係といえないし、「不可欠」でもない。

生きていく上で、切実に必須となったとき、教室とは、異なる学習原理が発動するのだ。

二つの学習では、獲得する能力の性質も異なっている。

「教室での学習場面のように、問題が解けないときに、まわりの人々の助けをあてにすることができず、しかも、もしも直接に助けを求めれば、「カンニング」という汚名をきせられてしまうのとは異なり、日常生活では、いつでもほかの人たちに頼ることができる。」

学校で学んで何かができるというのは、アカペラで歌を歌えるようになることに似ている。

日常的認知による能力は、文化的支援というBGMの上で、歌うという意味で、カラオケに似ている。

人間は、常識を働かせたり、人に聞いたり、空気を読んだりする。

日常の強力な文脈を援助やヒントに使って、目的を達成する力があるのだ。

必ずしも、学校に行かなくても、立派に、何事かを達成できるようになる理由である。

「仲間同士のやりとりが知的好奇心を高め、より深く理解するのを助けるのだ、といっておよい。

前節の三宅の実験と同様、人々が有能な学び手であるためには、他者の存在が必要なこと、その他者とは、関心を共有するが視点の異なる人がよく、必ずしも知識のより豊富な人であるには及ばないことが注目される」。

日常の学習では、専門科学のように、原理原則からの深い対象理解は、不可能という見方もある。

英会話や、お金の計算ができるようになっても、浅い理解にとどまって、言語学者や、数学者にはなれないのではないかという考え方だ。

しかし、個人にとって、それが重要な分野で、既有知識を持つ場合には、知的好奇心が働いて、深い理解が、容易になることもわかってきたらしい。

内発的動機の学び手の学習効果は、極めて高くなるからだ。

どうしたら、日常的認知を、学校教育や企業研修などの教育現場に取り入れることができるだろうか。

[ コメント ]
著者は、指導者は、教育的創造力を持つことが、何より重要だ、と結論している。

それは、

「特定の学習者を対象にして、学び手としての能動性と有能さが発揮され、しかも教育的に意味のある知的所産を生じるような活動を企画したり提案したりする創意工夫」

である。

「教え手なし」の学習が成功するように、導く教え手になれということか。

教育や教師のあるべき役割について、新しい見方を与えてくれる名著だと思う。

データやまとめが参考になった。

■33夜330冊目

2024年4月18日から、適宜、1夜10冊の本を選別して、その本達に肖り、倣うことで、知文(考えや事柄を他に知らせるための書面)を実践するための参考図書として、紹介させて頂きますね(^^)

みなさんにとっても、それぞれが恋い焦がれ、貪り、血肉とした夜があると思います。

どんな夜を持ち込んで、その中から、どんな夜を選んだのか。

そして、私達は、何に、肖り、倣おうととしているのか。

その様な稽古の稽古たる所以となり得る本に出会うことは、とても面白い夜を体験させてくれると、そう考えています。

さてと、今日は、どれを読もうかなんて。

武道や茶道の稽古のように装いを整えて。

振る舞いを変え。

居ずまいから見直して。

好きなことに没入する「読書の稽古」。

稽古の字義は、古に稽えること。

古典に還れという意味ではなくて、「古」そのものに学び、そのプロセスを習熟することを指す。

西平直著「世阿弥の稽古哲学」

自分と向き合う時間に浸る「ヒタ活」(^^)

さて、今宵のお稽古で、嗜む本のお品書きは・・・

【「嗜む」のすすめ】皮肉とユーモア、そして創造力への挑戦に焦がれ本を嗜む

Hybrid Imagery
April Greiman

Apple Design
Paul Kunkel

1984 Apple's Macintosh Commercial (HD)

Graphis Web Design Now 1
Ken Coupland

絵でみる20年後の日本
真鍋博

真鍋博 Original 1975
真鍋博

真鍋博の線の画集
真鍋博

自転車讃歌
真鍋博

2001年の日本
真鍋博

真鍋博の発想交差点
真鍋博

真鍋博のプラネタリウム
真鍋博

■(参考記事)


この記事が参加している募集

#わたしの本棚

18,416件

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?