【フェーズ2】毎日が、未知との出会い。
何か失敗が生じたとき原因を探っても無駄なことがあります。
なぜ失敗したのか。
なぜできなかったのか。
何が間違っていたのか。
誰が問題を起こしたのか。
一見合理的に見えるそうした問い掛けが、解決から逃避する口実になりかねない。
最初に取るべきことは、どうしたら解決できるかという解決志向の実践です。
理工系の人間はシステムをできるだけ単純なモデルで数学的に考えるクセがついているため、失敗には追求できる原因があると考えやすいのが欠点です。
プログラムや単一の設計・製造プロセスというような整然としたシステムであれば、失敗の原因を探求することには意味があります。
だけど、たいていの人間社会の出来事では多様な悪条件が複雑に噛み合って失敗をもたらしていることが多く、失敗の原因はいくら探求しても明確にならないことが多いことを忘れないでいたいですね。
整然としたシステムなら失敗には探求できる原因があるのですが、複雑なシステムは失敗原因がわからないことが多いから。
原因探求よりも解決のための実践が重要になると思います。
こうした複雑性は社会に限りません。
人間が関わるできごとは常に複雑な要因が関係しています。
一人の人間の行動パターンですらプログラムのように単一な制御によるものではありません。
個人の自己啓発でもそうですよね。
「自分はある種の仕事が苦手で失敗しやすい」と自覚し、欠点を克服しようと努力しても、欠点は本人が思っているほど単純なものではない場合、探求そのものが問題を複雑にしてしまいます。
悩むのが重要なこともあるのですが、目先の問題の解決のほうが重要なときは、悩むのをやめて、打てるべき手にどんどんトライしていくと、自然に問題が解決する場合も多くあると思います。
では、具体的にどうのように解決策を探るのが良いのか?
非常に簡単な2つの方法があります。
ひとつめの方法は、以前うまく行ったやりかたをまたやってみる。
もうひとつの方法は、他人・他社がうまく行っているやりかたをまねてみる。
非常にくだらない方法に見えますが実践的な解決策になるんですよね。
以前のやり方をまたやるとか、他人のやりかたをまねするというのは消極的なようですが、とりあえず目先の問題を少しでも解決できれば、複雑なシステムというのはそれなりに元の軌道に戻ることがあります。
例えば、営業成績が落ちたというとき、以前よかったとき、自分は何をしていただろうかと思い出し、それを意図的にやってみる。
あるいは営業成績のいい人を観察して理解した範囲をまねてみる。
地味な解決策を「下手な鉄砲も数打ちゃ当たる」として実践し、その効果をフィードバックする。
これは効果的だった、あれは効果がなかった、そういう小さな解決策を積み上げていくとどこかの時点で、量から質の転換が発生し問題が解決することがあります。
そのためには、日々、勉強!ですね(^^)