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内側からキュキュ!

他人軸で生きてしまっていませんか?

ここでいう他人軸の生き方とは、自分以外の他人の意見や考え方をまねして生きる、世間一般の考え方・常識とされていることを鵜呑みにして生きる、人の顔色ばかり窺って生きる、他人から受ける自己への評価を気にして生きる、ことなどを指します。

人間誰しも、自分への評価はとても気になるところです。

だから、嫌われないように、はみださないように、他人軸で生きてしまいがちです。

でも、自分の人生です。

自分という存在は、心も、体も、あなた自身にしか生かすことのできないものです。

また、喜びも、悲しみも、気持ちよさも、痛みも、あなたに起こったすべての感情や感覚は、あなた自身にしか感じ取ることはできません。

どんなにあなたと近い存在の人であっても、どんなに頭脳明晰で立派な人、また、非常に繊細な感覚の持ち主であっても、あなたの身や心に起こっている感覚は、感じ取ることはできません。

あなたの人生の代わりを、他人はしてくれないのです。

あなたの人生の舵は、あなたが取っていくしかないのです。

批評や評価は、ときにありがたく有益なものですが、ときには無責任な迷惑なものもあります。

その批評や評価に一喜一憂ばかりしていられません。

他人の影響による行動であっても、あなたがしたことはすべてあなた自身に返ってきます。

自分の責任は自分でとらなくてはいけません。

当然、他人は、あなたの分の責任を取ってくれません。

もちろん、他人を無視しろと言っている訳では、ありません。

他人を思いやる心と、自分の思うように生きる人生の舵取りは必ず両立できるものだと思います。

世間一般の常識は、本当に正しいものばかりなのでしょうか。

たぶん、違うと思います。

過去の歴史を振り返ってみても、時の権力者たちの刷り込みや未知の分野への科学的進歩、そして、自分自身の考え方一つで常識というものは変化する可能性を秘めています。

世間では常識とされることだって、あなたにとっては常識ではないということもあるかもしれません。

例えば、フリーター。

世間一般的には、あまり良いイメージはないようですが、本当にフリーターは本人にとって不幸な状態なのでしょうか。

人それぞれ、生き方や考え方、価値観の相違があるのですから、旧来の考え方などを押し付けるのは良くないと思います。

守るべき社会のルールは守らなくてはいけませんが、新しい生き方への模索・挑戦を、旧来の型(良い大学を出てよい会社に入ってエリートコースなど)を模範・基準として考えることはいかがなものかと思います。

価値観は、唯一のものでは決してありません。

人の数だけあってもいいくらい、多様化したものであるはずです。  

また、社会・常識の変革は、常に起こりゆくものです。

人から嫌われないように、ハブられないように、馬鹿にされたり、非難されたりしないように、そうして生きていると、ちょっとラクです。

傷つかなくてすむから。

馬鹿にされたり、嫌われたりすることは、とてもつらいことです。

でも、そうやって他人の目や顔色ばかり気にして生きていると、だんだんと自分自身がなくなってきてしまいます。

どこにでもいそうな、可もなく不可もない人になっていきます。

そんな人は嫌われることも少なく傷つくことも減るでしょうが、逆に好かれることも、ワクワクすることも減ってきてしまうでしょう。 

演技をしている自分、本当の自分ではないような自分を好きになってもらっても、心が苦しくなっていきます。

好きな人には、自分の好きな自分を好きになってもらいましょう。

自分の考えを持って下さい。

自分の軸、つまり、自分が正しいと思うこと、楽しいと思うこと、こうありたいと思うこと、自分の好きな自分で生きていきたいですね。

少しくらい、他人に批判されたって、嫌われたって、別にいいんですよ!

すべての人から好かれたり評価されたりする人間なんて、いないんですから。

人間というのは、好かれたり嫌われたり、また、非難されたり評価されたりしながら、成長をしていくものなのではないでしょうか?

中身を磨けば、外見も輝き、コミュニケーションもスムースになっていくはずです(^^)

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