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花は華やか、周囲を照らす。

結果は分からなくても、やりたいことはとことんやりましょう!

それが人生に対する真剣な態度なのかもしれません(^^)

芥川龍之介の「芋粥」の中に「人間は時として、満たされるか満たされないか、わからない欲望のために一生を捧げてしまう。その愚を笑う人は、畢竟、人生に対する路傍の人に過ぎない。」とあります。

「羅生門・鼻・芋粥・偸盗 (改版)」芥川竜之介(作)(岩波文庫)

畢竟(ひっきょう)は、「結局・つまるところ」という意味です。

よく四十にして惑わず(不惑)と言いますが、四十にして惑わずではなく、惑い続けるところに人間らしさが宿るのではないでしょうか?

そういう人間だからこそ「時として満たされるか満たされないかわからない欲望のために一生をささげてしまう」事もあるのでしょう。

この場合も「どう生きるか」の問いに人は賭けているのだと感じます。

そのせいであたら一生を棒にふる事さえあります。

でも「その愚を笑うものは畢竟人生に対する路傍の人に過ぎない」と芥川竜之介が語る「路傍の人」とは、自ら問うことなく、選ぶことなく、つまり自分を生きることなしに人生をいたずらに通過する人のことです。

昔の人はすごいことを言っているんだなぁ、と改めて思います。

「ああ 何億人の人がいようとも かかわらなければ路傍の人」

人は関わりあってこそ人なのでしょう。

昨今の「関係ない」という無関心の風潮の社会にあって路傍の人であることに悲しさを覚えます。

でも、驚くべきプラス思考というか、飛躍というか、同意できないわけではありませんが、真っ当すぎて逆に引いてしまうというか、なんというか・・・・・・

でも、路傍の人がいるおかげで今いる場所が道の真ん中であることを知ることができるということもあるわけです。

芥川龍之介、享年35歳と4ヶ月。

それにしても35歳と4ヶ月というのはあまりにも短い生涯だと思います。

3人の子供を残しての自殺には、理解し難いものがありますが、実はその動機さえも35年以上を生きてみた今、私なりになんとなく判る気がします。

「僕の将来に対する唯ぼんやりした不安」みたいな感覚。

路傍に留まっている時間が惜しかったのかも知れなません。

今や何が真ん中で何が路傍なのかが判然としない世の中なので、そんなに力まずに済みますが・・・・・・

でも、倦まず弛まず続ける意力のようなものは相変わらず必要です。

人とのかかわりで生かしていただいている私達の筈ですから。

ただ、毎朝テレビをつけると、人が殺された話題・親子殺人・バラバラ死体・脱税・・・・・・

朝からこんなニュースに人々は毒されながら、一日が始まります。

それも毎日、毎日。

いじめ列島・殺人列島・汚職列島に足りないものは・・・・・・そんなことを思っている時に、こんな詩に出会いました。

映画「風の舞~ハンセン病の詩人 塔和子の世界」でも有名な愛媛県生まれのハンセン病元患者の詩人である塔和子さんの詩を紹介しておきます。

風の舞~ハンセン病の詩人

12歳でハンセン病にかかり、病完治後も60年近くをここ瀬戸内海大島青松園・療養所で今も暮らしていらっしゃいます。

親や姉弟から引き離された少女は、毎日ひとり浜にたたずんでは海の向こうの故郷を思ったといいます。

30歳ごろから書き始めたという詩は、すでに18冊の詩集となり、そのうちの1冊は詩壇最高の高見順賞を受賞しました。

今70歳を超えて同じ浜辺から海を眺める車椅子の塔和子さんは、まるで苦悩を超越したような穏やかな顔なんだとか(^^)

ハンセン病と聞いても若い世代にはピンと来ないかもしれません。

でもそれはこの病気に対する差別がなくなったから、というわけではありません。

ただ、知らないだけ。

らい病とも呼ばれる不治の恐ろしい病とされたこの病気にかかると、人は老若男女を問わず世間と隔絶された施設(療養所)に強制的に入れられ、実名を伏せ家族とも会えず、死ぬまでそこから出られなかったのです。

いや、遺骨になっても故郷に帰ることを許されなかった人も多いと聞きます。

でも彼女は、身は隔離されても、詩を通じて多くの人とかかわってきました。

また、自分にかかわってくれた人々への感謝を、塔和子さんは謳っています。

今、差別やパーキンソン病と闘いながら、命ほとばしる詩で人々に生きる希望を与えた塔和子さんの詩を読んで欲しいと思います。

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「胸の泉に」

かかわらなければ
  この愛しさを知るすべはなかった
  この親しさは湧かなかった
  この大らかな依存の安らいは得られなかった
  この甘い思いや
  きびしい思いも知らなかった
人はかかわることからさまざまな思いを知る
  子は親とかかわり
  親は子とかかわることによって
  恋も友情も
  かかわることから始まって
かかわったが故に起こる
幸や不幸を
積み重ねて大きくなり
くり返すことで磨かれ
そして人は
人の間で思いを削り思いをふくらませ
生を綴る
ああ
何億の人がいようとも
かかわらなければ路傍の人
  私の胸の泉に
枯れ葉いちまいも
落としてはくれない

「未知なる知者よ」より

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すべては学びですね。

それにしても、あの人への思いは十分だっただろうかと・・・・・・

過去の多くの至らなさを心に留めて、今縁をいただいている人へ気持ちを込めたい。

ちょっとした心配りの大事さを痛感しているこの頃です。

実践者でありたいものです(^^)

そう、いつも上々、気分♪で。

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