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いつもの読書タイムに、ゆったり音楽をプラス。

よく「百聞は一見にしかず、百見は一体験にしかず。」と言いますが、ブログや雑誌などで情報を入手する事が出来ても、実際に現物を見て、驚く事も多々あるものです。

自分の目でみて判断する、これは大切です。

だけど、一見したからって信じちゃダメだよね、ってことがポイント!

そりゃそうで、百回聞いてもわからない者に、たった一度見せたからって、わかるワケはないし、逆説的には、一回だけ見てコツを掴むような者は、一度要領を聞くだけで理解できるはず。

但し、見ることは潜在意識に蓄積されるのか、一度目にしておくと、数ケ月、数年後に、大きな“気づき”につながることもあります。

点と点が線となり、やがて面となるように・・・・・・

映画「ポーラー・エクスプレス」の中でも「百聞は一見にしかずと言うが、場合によっては、目に見えないものが一番確かだったりするのさ。」と言っていたしね(^^;

心を豊かにするために、知識を深めるために、本を読んだり、ビジネスマンの常識として、毎日新聞に目を通したりと、急速なスピードで変化する時代を把握するために、情報を集めること、フローさせることは重要なことです。

もっともなフレーズなんですが、気をつけないといけないのは、誰が何のために書いた文章であるかどうかです。

日々インターネット上に登場し、蓄積され続ける情報の99%は、その場限り、使い捨てのゴミ情報です。

「ペンは剣よりも強し」と言うけど、人は、活字、新聞、ニュースなどにより、影響され、誘導され、扇動され、洗脳されて、時には戦争へまで駆り立てられてしまうことになり、マイナス面の影響の方が大きいように感じます。

それゆえに、今は、読み手・情報の受け側に情報の選択とフィルタリングろ過機能が必要になってきます。

何を選択して読むか?

どう解釈して読むか?

意識していないと、危ないってこと。

一見出来ないまま、百聞の災いにあってしまいますから、必要のないものは忘れるに越した事はありませんよね!

そうそう、シェイクスピアが「オセロー」の中で「しかし、所詮は人間、いかに優れた者でも時には我を忘れます。」と書いていましたが、我を忘れるからこそ、忘我の境地にいたるからこそ、自分の可能性のカベを突き破って新たなステージに進むことができると思いませんか?

常に自分をコントロール下に置いていたら(もしそれが可能であれば)人は進歩を忘れたロボットと化す。

そう考えると、集中力がない、という描写よりも、我を忘れる力が不足している「忘我力不足」という方が実態がよく伝わってくる気がします。

本を例にとれば、1冊の本から1つのことでも学べれば十分です。

薄っぺらな情報に振り回されては、迷惑なことなので、この手の情報を素通りさせる、忘れるスキルも必要ではないかと思います。

「百聞は一見にしかず」の心理を説明する心理学的な立場で考えてみると、「視覚優位」という言葉があって、人間は触覚や聴覚よりも視覚によって得た情報を優先させるというものです。

また、「知覚の恒常性」なる用語もあって、これは「経験に基づいた(裏付けられた)知識(信念)で知覚判断をするということ」なんだそうです。

人間の認知行動には「感覚」「知覚」「認知」の3つのプロセスを経るのだそうですが、上に挙げたのは「知覚」の範疇に入るものです。

ただ、「百聞は一見にしかず」の意味を良く考えてみると、「感覚」や「知覚」というより、「認知」の範疇に入る気もするため、私たちは、見えるものにも、見えないものにも、だまされちゃいけないってことが重要なことなのかもしれません。

読み手や聞き手側の文化的基盤に、今一度意識を向ける必要があるのかもしれませんねぇ。

基盤が弱いと、簡単に崩されてしまうから・・・・・・

そして誰もが自由に、簡単に文章を公開できる時代になった今だからこそ、誰に向けて、何を伝えたいかに関して、責任を持つときでもあると思います。

伝える、受けとる、そして何かがおこる。

これが、文化の力なんでしょう。

もっと心がほっとする、充実タイムに♪

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