正しい状態にどれだけこだわりますか?
自分が正しくあること、自分が正しいと感じられることって、多くの人にとっては大事なことですね。
あなたは、自分が正しくあることにどれだけこだわりますか?
自分の選択について、または自分のあり方や生き方について。
周りに人たちに自分がどう正しく映るか、とか。
いつの間にか、正しくなくてはいけない、という気持ちから迷ったり、選択できなかったり、正しくあるべきだからと自分の気持ちを無視したり、することはないでしょうか。
正しくあることの逆は間違うことなので、つい間違うことを恐れるあまり、結局本当に正しいことを選べなくなることもあるかもしれません。
何が正しいかの基準も、ときに自分の考えではなく誰かの言ったことをいつの間にか自分の中のあるべきものとして正しくなっているときもあるでしょう。
また、自分が正しいと主張するプロセスで、自分について必要以上に説明したり、また周りを間違っているとしてしまうことはないですか。
正しいという言葉には、いろいろ意味があって辞書を見てみると、あるべき姿、道徳・倫理・法律にかなっている、よこしまでない、誤りがない、真理・真実に合致している、標準、規範、儀礼などに沿っている、筋道が通っている、効果のある方法、ゆがんでいない、乱れていない、整っている、など。
法律などならわかりやすいですが、道徳や倫理観などはある程度足並みがそろっていてもときに人それぞれ。
個人の基準や標準での正しさもあって何が正しいかという判断は、ときに簡単でないときもあります。
正しいことはひとつでないことも。
私が正しいからと言って、常に誰かが間違っている、というわけではないですよね。
意見などなら、正しい・正しくないの前に、ただ「違う」というだけだったりもします。
小さいころからテストで常に正解はひとつ、というようにトレーニングされてきましたから、つい、何でも何か正解があり、それ以外は間違いだと思うクセがついているのかもしれません。
正しい答えを出したら、点ももらえるから、それを求めているのかもしれません。
ひとつしかない、となると、迷うことは本当に多くなるしときに周りとの摩擦や、自分の中のジレンマも増えます。
しかも、その正しいことが何か、とくに自分にとって正しいことが自分でわからないときさえある。
だから、ときに物事の選択はややこしくなるし正しくあることにこだわってしまうと、答えが出ないときもあるでしょう。
良いニュースとしては、物事をどう捉え、どう考えてもそしてどんな選択をしても、結局はそのときは「正しい」ものだということ。
たとえば、自分が正しい、と思うなら正しい。
自分ができないと思うなら、それは確かに合っているしできると思うなら、それも合っている。
つまり、間違った選択はできないはず、として見てみると、ずっと気楽になれます。
ときには、何でもいいからとにかく前へ進むことが正しいこともあるのです。
そんなときは、選択肢はどれも間違っていないことになります。
正しくあるための選択にこだわるあまり、ひとつも選択できないでいたら、ときに時間だけが経って何も解決せず、物事も進まなくなることもありますよね。
このコンセプトを応用すると、自分が正しいから周りが間違っている、というのが通らなくなります。
すると、自分が正しくあるために、周りを間違ったもの、(悪いもの)とする必要もなくなります。
自分が正しいことでOKにして、周りを打ち負かす必要がないなら、お互いに楽です。
誰だって正しくありたいのですから。
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【レポート】「正義」と「正しさ」
https://note.com/bax36410/n/n8074d724086f
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