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朝日に照らされた吊り橋が、青い視界に線を引く。

癒しという言葉の音は、実にやさしい響きを持っています。

現代は、「癒し」という言葉が街にあふれています。

・ヒーリング

・セラピー

・ロハス

・スピリチュアル

などなど・・・・・・

表もあれば裏もあり、霊感商法と、さまざまなビジネスも生まれているようです。

癒しは元々、呪術医や魔法医が病に陥った人を治す悪魔払いの行為を言ったものだそうです。

なるほど語源からすると、むしろ霊感商法への適用が最もふさわしいのかもしれませんねぇ。

よく見ると確かに癒しという字は、病偏です。

とすると、癒やされる側は病を持っているということになるのかもしれません。

では、一体全体、何の病?なのか・・・・・・

悩み、不安、迷い、挫折、焦り。

肉体的な疲労はマッサージや休息で治せますが、精神的なストレス状態を治すメンタル・マッサージは存在しません。

先ほど挙げた癒しビジネスは、いかにも自殺大国「日本」における需要と供給のバランスにおいて発掘された、潜在市場であるような気がします。

ただ、英会話ビジネスが反映するけども、受講者が短期間で英語を習得することができないという仕組みと同様に、癒しの効果が瞬間的・一時的で、持続的なものでないのも確かだと思います。

だから、ヒーリングに始まり、アロマセラピー、森林浴、癒しグッズ、癒しストーンにまで手を広げることになり、多額の出費の果て、癒し難民になる人も多いのが現代社会。

はっきり言えることなのですが、心の病に風邪薬のような対症療法はないってことです!

癒し系施術は、気晴らし程度に使うのはいいですが、治癒として頼っても無駄であるってこと。

悩みや不安は逃げると、さらに大きくなって追いかけてきます。

焦りは自分ひとりで考え込んでいると、ブラックホールのようなものになってきます。

ただし、誰かに話すことで楽になったりもしますよね(^^)

ただ事実を話すだけで、その相手がセラピストであるかもしれません。

自分が自分として認められることで、安心する。

特別な自分ではなく、理想の自分でもなく、成功している自分でもな、ただ、あるがまま自分。

そのままでいい。(Just the way you are.)

戦後の日本は自由という概念を解放し、生き方の多様性を認める国になりました。

ワンパターンの国民性しか認めない国では、国民の悩みはより少ないはずだと思いますねぇ。

多様性のなかで、自分の方向性を見いだすのはとても難しいことです。

360度の方向性があり、もし間違っていれば逆戻りを余儀なくされるから・・・・・・

一歩も踏み出せず、迷っている人が多いのではないでしょうか?

人は自分の方向性が見つからないとき、一番つらいんですよねぇ^^;

もっとつらいこともあるだろうとは思いますが、方向性が見つからない、今日という日が明日へと繋がらない焦りや将来が見えない、明日がない、生きている意味がない、という方程式。

これは本当につらいことです。

こんな経験はないでしょうか?

スピーチで話すとき、「いい話」をしようとする。

教訓や名言、金言など、「ためになる話」をする。

自動的に「いい人」や「正しい人」を演じようとしてしまう自分。

多様性の社会において「正しい人」とはどんな人であろうか。

崇拝すべき君主はいません。

強制される戒律も教義もありません。

すべて自由です!

でも人は、どうしても正しく振る舞おうとする生き物です。

正しさを求め、人と比較する。

近似値だと安心するが、異なると不安になる。

でも人と同じでは、嫌だ。

人と違いないながら、同じであるというのは、矛盾なんだけどねぇ^^;

矛盾の中で、悩むから大きくなっていくのも事実です。

そう、自分のアイデンティティを確立することを優先して歩んで行きたいなと、思います。

何でもいい。

絵がうまい。

歌声に自信がある。

料理ができる。

その自分を、そのまま受け入れてみる(^^)

最初は、セラピストの力を借りるのもいい。

最終的に、自分自身で自分を受け入れることができれば、永遠の自由を、手に入れることができるかもしれません。

そのままでいい、そう、ゼロ地点でいい自分を発見したい。

正しい方向性も、これまたないってことなので(^^)

眺めるだけで気分爽快♪

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