心と書いてウラとも読みます。
日本の古語では「心」のことも「うら」と呼んでたんですね。
心はまさに隠されたもの、背後にあって人を動かすものだからなんでしょうね。
人間に心があるように、生きて動き、変化していくものには、自然にせよ、四季にせよ、すべて秘められた心があると言えるのかも。
世界そのものに隠された心があり、裏があると、古代人は考えたのかな?
けれども普通の人間には、世界の心は読みたくても読めないし、その声は聞こえない。
心悲しい、心淋しい、心思い、というときのウラは、意識の内奥、すなわち