“カミングアウト”って

こんにちは。

今回は少し人の深い部分に関わる話をしようかなぁと。

こういった話題は取り上げ方が難しいので、どんな言葉を選ぶのが正しいのかすごく迷うんですけど、いつも正解の言葉が見当たりません。。。

しかもすごい個人的な意見なので余計にそう思います。

「性」って人それぞれだし、考え方も色々あるよなぁと思うから、この言葉を使うとこっちの人を傷つけちゃうし、でもあの言葉を使うと今度はこっちの人を傷つけちゃうんじゃないかって思うと堂々巡りになってしまって。

私自身ゲイなんだろうなぁってぼんやり思っているのですが、「ゲイ」を前面に押し出すのはなんか違う気がするんですよね〜。

微妙な「性」の色の狭間にいる感じ。

だからこう、その辺の話の微妙な言葉のニュアンスとかがちょっとずつ気になるんです。

そんな私の拙い文章で、皆さんにどう伝わるか不安ではありますが、私の素直な気持ちを書いてみたので、良かったらのんびりお付き合いください。

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いきなりですが、
どうしてシスジェンダーでなく異性愛者でない人が、自らのセクシュアリティーを他の人に伝えることを“カミングアウト”って言うんでしょうか。

どうして“カミングアウト”するんでしょうか。

ふと疑問に思いました。

だって、それってもうその時点で多数派ではない性は特異だって言われているのとおんなじような気がしませんか?

ちょっと過激派が過ぎますね。落ち着きます。

“カミングアウト”することがダメ、って言いたいわけじゃなくて、そんな言葉なしに、“普通”に、「俺男だけど、男が好きなんだよね」とか、「私、女の人の方が好き」って言える世の中になってほしいなぁって思うんです。

「あ、同性のことを好きになる自分が、好きな人のことを話すということは“カミングアウト”と同義で、
その話をするためにはヘテロの人が踏まへんステップを私は踏まんとあかんのや」と、自己表現のハードルを増やしているようではダメなんじゃないかなぁと思います。

男性は女性が好きで、女性は男性が好きなんだ、みたいな固定観念に囚われているから“カミングアウト”って概念が出てくるんじゃないかなぁとも思ったりします。

もっとフランクに、野球が好き!とか音楽が好き!とか、自分のアイデンティティーを語る言葉と並列させて、自らのセクシュアリティーを伝えることができたらもう少し世界が優しくなれるんじゃないかなぁと。

もちろん、この考え方がすべての人に当てはまるわけではないし、
自分のセクシュアリティーは言わない、言いたくないという人もいると思います。

それはもちろん人それぞれで、いろんな考え方があって当然です。

でも、もし、自分のセクシュアリティーを他人に知ってほしいと思っていると仮定すると、こんな考え方もできるんじゃないかなぁというすっごい個人的な意見です。

例えば、シスジェンダーの男性で性自認が男である異性愛者の男性(生物学的な性別が男性で、本人も「俺は男だ」と思っていて、好きになる人が女性である男性)が、
「女性が好き」って言うことに対しては“カミングアウト”って言わないですよね。

「なんでなん?」って思いません?

私はめちゃくちゃ思います。「なんでなん?」って。

さっきの異性愛者の男性は、好きな人の話をすると「そうなんや」って飲み込んでもらえて、話が進むのに、
そうでない人は、好きな人のことを話すと“カミングアウト”と捉えられてしまって、「え、そうなん?」って迫られて、自分のセクシュアリティーを説明するために話がストップしてしまう。

“カミングアウト”は、もともと秘密を話すって意味がある言葉で、ウィキペディアを見てみるとこんな風に書いてあります。

カミングアウト(英: coming out)とは、これまで公にしていなかった自らの出生や病状、性的指向等を表明すること。英語の動詞形でカムアウト(英: come out)またはカムとも言う。https://ja.m.wikipedia.org/wiki/カミングアウト

ほら、あの、有名な民放の番組あるじゃないですか。
あの感じです。カミングアウトって。

そんな意味を持つ言葉が、個人のセクシュアリティーを伝える際に用いられてるのって、すごい大ごとな感じがするし、私はなんか寂しいなぁって思ってしまうんです。

確かに、本人的には“カミングアウト”なのかもしれない。今まで言えなかった、伝えられなかった自分のセクシュアリティーを勇気を振り絞って他人に伝えるということは。

でも、ね、ほら、“カミングアウト”という言葉を前提に、自らのセクシュアリティーを伝えないといけないのって、ちょっと寂しいなぁ、って思いません?

「自分はこんな人が好きで、こんな恋をしたい」
とか
「自分は今の性よりもこっちの性でいる方が楽だ」
とかって言うために、“カミングアウト”というハードルを超えないといけない人がいるのは悲しい。

もっと自由に自分のことを表現したいと思ったりするんじゃないでしょうか。


“カミングアウト”しないといけない環境を変えていく必要があるのでは

でかでかと書きました。
それはまぁ、タイトルと同じくらいにでかでかと。えぇ。
まぁ、こんな風なことが読んでいる方に伝わっていればなぁと思うわけです。

先に書いたように私はゲイなのですが、特に隠しもしていなければ、自ら伝えることもありません。
話すタイミングがあれば話す、という感じ。


仮に私がゲイだということを友人に“カミングアウト”する状況を想像してみると、

まず前提として、ゲイというセクシュアリティーを持つ人は少数派だという認識が社会に存在していて、
その社会で友人は生活をしているから、ゲイというセクシュアリティーを待つ人は少数派だと思っている。

その友人に、「私はゲイなんだ〜」と伝えたら、

やっぱり驚きますよね。
だってゲイというセクシュアリティーを持つ人は少数派だと思っていたもんだから。

少数派ってことは周りにはいないのかなってぼんやり思えてしまうから。


そんな反応を生んでしまっている環境を、社会を、変えていくことが必要なんじゃないかなぁって思うんです。

(口で言うのは簡単ですが、、、)

どんな性もセクシュアリティーも存在する事を認められる世の中になってほしいし、
そんな社会では、“カミングアウト”なんて言葉は必要なくなるんじゃないかなぁと思います。

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私が“カミングアウト“って言葉について前々から思っていたことを書いてみました。

あ〜〜〜もうちょっと文章上手くなりたいなぁ〜〜〜
というか言いたいことが伝わっているのかすごい不安〜〜〜
という感じですね〜

長々とお付き合いありがとうございました。

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#LGBT #LGBTS #性 #セクシュアルマイノリティー #ゲイ #カミングアウト #カムア

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