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生きてきたぜんぶで僕はつくられている。 あるいはデザイナーという生き方を歩む宣言について。

生きてきたぜんぶで僕はつくられている。
そんな簡単な答えにたどり着くまでずいぶんと遠回りしたものだと思う。

何者かにならなくてはならない。
何かできることがなくてはならない。
何かを好きでなくちゃならない。

そんな強迫観念に27年間振り回され、迷い、失敗し、間違えを重ねてきた。
でも、僕は僕でしかないんだと。
ようやく理解できるようになった。

生きてきたぜんぶで僕はつくられている。

その前提を間違えず、僕は僕のまま僕らしく生きたい。
客観的な良し悪しでなく、主観的に大切だと思ったことを振り返り、選び取ることでその答えにたどり着いたのだった。

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まず、僕という人間は"漫画"から多大な影響を受けてつくられてきた。
これは良いとか悪いとかという話でなく、幼い頃から漫画に浸かって生きてきたという事実なのだ。

漫画を読むことは、ご飯を食べることのように欠かせないものだった。
お腹が減ったり栄養が足りず体調を崩すのと同じような理由で、漫画を読まないと健康に暮らすことができない。体がそう出来上がってしまっている。

kindleで新刊を買い、漫画アプリでまだ見ぬ作品を探し、月曜日と木曜日にはコンビニで週刊誌を立ち読みする生活が当たり前になってしまっている。

27歳になった今も主人公に憧れ、予想を超えた物語に感動するこの性質は魂に深く根を張っている。おそらくこれは、ずっと変わらないだろう。
良くも悪くも事実として、僕という人間は漫画や物語からつくられてしまっている。

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漫画「惑星のさみだれ」より。
登場人物の白道八宵は、命をかけて戦うことと引き換えに一つの願いを叶えてもらう。その願いは
「お父さんやお母さん私の家族が死ぬときは笑って死ねますように」
死の瞬間を幸福にという願いは、どう生きることが大切なのかを示唆してくれている。僕の死生観に大きな影響を与えてくれた1ページ。

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人生もまた、僕を主人公とした一つの物語だと考える。
日常の積み重ねが人生で、無数の日常で僕の物語はできあがっている。

もちろん日常の中には、良いことだけじゃなく悪いことや汚いこともたくさんあった。でも、綺麗な部分だけを取り上げて書くのだとしたら。

デザインと出会ったことで僕の日常は大きく変化した、と言いたい。
それを契機に、僕は僕らしく生きられるようになっていったのだ。

これまで目にも留めていなかったものに価値を感じられ、美しいものや暖かいものにずいぶんと気がつくようになった。良いものを良いと感じられる感性が身についていき、生まれた感情や思考を言葉にする価値を知ることができた。

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"COEDO"
EIGHT BLANDING DESIGNによるブルワリーのブランディングプロジェクト。日本のビール業界では初となる「クラフトビール」という新たなポジションを確立し、いまや一般用語にさえなっている事実に震える事例。

建築やグラフィック。アートに広告に商品に事業に・・・今、好きなことがたくさんある。
誰かが作ったものに触れ、現実に接点の無い僕に多くの感情や成長を与えてくれることが嬉しかった。世界はこんなにすごいもので溢れていて、その中で僕が暮らしている事実が奇跡のように思えた。
そうやって僕の日常は少しずつ変わっていったのだと思う。

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大学生の時、ゼミの教授だった先生がデザインの話しをしてくれたことをよく覚えている。

DESIGNという言葉は英語として分解するとDE+SIGNとなること。
記号化されたもの(=SIGN)を否定すること(=DE)がデザインの本質だよと。

その考え方は、今や僕の生き方に根付いている。
「なんでそれをやらなければならないんだろう、こうした方がいいのに。」
理由が不明瞭なまま押し付けられる価値観にずっと疑いがあった。
我慢するんじゃなくて、新しい視点から捉え直すことがデザインの始まりだという考えは僕によく馴染んだのだった。

それは方法論を超えて、僕の生き方となった。
デザインとは
"まだ意味を与えられていない物事への価値を信じる勇気を持つこと"
なのかもしれないと。そう考える。
自分の目で見て、体感して、思考すること。
その上で見つけた何かを信じることが大切である。
この生き方こそが、僕にとってデザイナーとして生きるということなんじゃないかと思うようになった。

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もう一つ、とても大切に思っていることは僕がこの世界で生きてきたという事実について。

これまでに出会い関わってきたたくさんの人たちによって今の僕はある。それらのあたたかな記憶が今の僕をつくってくれている。もらってばかりでほとんど返せていないけれど、色んな人のやさしさとかきびしさとかで僕は育まれてきた。

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みんなでご飯を作って食べただけの何気ない日常。
群馬から一緒のこうきさんや、新潟へ移り住むきっかけを生んだみおさん、三ヶ月一緒に過ごした友人たちや、遠方から写真を撮りに来てくれたカツオくん達と賑やかな夜をすごした。友人が村で営む宿での写真。
こんなあたたかな日常が無数に積み重なって僕の人生は出来上がっている。
[photo by katsuo]

母さんがいたから、疑いようのない愛があるのだと信じることができた。
なんでも話せる仲間ができて、孤独じゃないと思えた。
僕の生き方を理解して、尊敬してくれる人がいた。
感じたことを言葉にすることが大切だよと教えてくれた人がいた。
弱さを認めてくれた人、天才だと言ってくれた人、ずっと気にかけてくれる人、僕を好きになってくれた人。
いろんな人が僕に大事ななにかを与えてくれた。

そういった人たちを何よりも大切に思う。
僕の日常はそういう優しさとか愛とかでいっぱいで、もちろん嫌なこととか汚いこともあったけれど、少なからず僕は愛を持って人と接していたいと思えている。こうなれたのは、疑いようもなく僕に関わってくれた人たちの存在があったからだ。

そういうやさしさとか愛は、なにか物を作ったり表現するときにもちゃんと活きていて、一繋がりなのだと強く実感する。
どれも全部つながっている。働くことも遊ぶことも休むことも、ぜんぶぜんぶ一繋がりになっている。

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"まだ意味を与えられていない物事への価値を信じる勇気を持つこと"
その意思が、僕のデザイナーという生き方をすることへの表明である。

生きてきたぜんぶで僕はつくられていて、
生きてきたぜんぶを力に変えられるデザイナーという生き方は、
もう呪いのように(あるいは神の祝福のように)切っても切り離せないものとなった。

そして、それが誇らしい。
そうやって生きるのが僕にはいちばん健やかで幸せなのである。

2020年は商品を作ったり、売ったり起業したり旅をしたりする予定で、傍目にはよく分からないような状態になるだろうけど、根っこは変わらない。

まだ意味を与えられていない物事への価値を信じる勇気を持って、デザイナーという生き方を歩む。その宣言にも確かな意味がきっとあるはずだ。
2020.1/4(sat)

追記2020.1/8
クリエイターでなくデザイナーであることに拘った理由があった。
生み出すことよりも"踏み出すこと"に、僕が全力でいられる道が続いていると確信したからだ。一方的に尊敬してる人(向こうは僕を知らない)の言葉を借りて、改めてその意思を表明したい。
いつだって悲観は気分、楽観は意思だ。勇気を持って僕はその先へ進んでいく。

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