バッタ | ウコン農家

1992年生。前橋工科大学卒業後、建築設計事務所へ。グラフィックデザイン、花屋、地域お…

バッタ | ウコン農家

1992年生。前橋工科大学卒業後、建築設計事務所へ。グラフィックデザイン、花屋、地域おこしと、人生の迷子を経てウコン農家に。一一さんから受け継いだウコンでブランドを立ち上げました。

最近の記事

無数の物語の種を蒔くコンテンツの可能性。 あるいは"運命力"の実在について。

数日前の晩、友人が滞在先に遊びにきてくれた。 仲間と共同管理している建物で、3階建の建物をセルフリノベーションした場所である。前橋にあり、年越し前から一週間くらい滞在していた。 料理をつつきながら、住んでたり遊びにきたりした何人かと飲み明かした。 2019年にセルフリノベーションした建物「花園ファミリア」 ある夜のリビングの風景 [photo by 金井里奈] 朝目覚めて、昨晩の残り物を温め朝食を摂った。 食べ終えてのんびりしていたら、そういえばと友人がスマホの画面をこ

    • 生きてきたぜんぶで僕はつくられている。 あるいはデザイナーという生き方を歩む宣言について。

      生きてきたぜんぶで僕はつくられている。 そんな簡単な答えにたどり着くまでずいぶんと遠回りしたものだと思う。 何者かにならなくてはならない。 何かできることがなくてはならない。 何かを好きでなくちゃならない。 そんな強迫観念に27年間振り回され、迷い、失敗し、間違えを重ねてきた。 でも、僕は僕でしかないんだと。 ようやく理解できるようになった。 生きてきたぜんぶで僕はつくられている。 その前提を間違えず、僕は僕のまま僕らしく生きたい。 客観的な良し悪しでなく、主観的に大

      • 2020年版遺書。 僕は何を携えてこの先を生きていきたいのだろうか

        どう生きることが正しいのだろうか。その答えをずっと探している。 幼い頃から、生き辛さを抱えて生きてきた。 周りの人に比べ、生きるのがとても下手だった。 つい最近まで、みんなが当たり前にできていることが、僕にとっては何より難しいことだったのだ。 普通に友達と遊ぶとか、楽しくお話しをするだとか、悪いことをしないだとか、集団で行動をするだとか。 無理して頑張らずにはみんなの当たり前についていけなくて、自分が社会の異物のように感じていた。 ようやくと言って良いのか、今となっては

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