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日記(作品構想、キャラ作り、『真昼の暗黒』、歌物語、ノベルゲーム)

 今日も雑多な日記です。気づいたんだが、このタイトルのつけかたって「さよならを教えて」のキャッチコピー(言葉、男、狂気、少女、さよなら。)っぽくね?

 昨日はいろいろと考えた。まず話というか、物語のプロット的なのを考えた。考えたうえでどう作品かするのか決めてないし、コミティア漫画もやらなきゃいけないし……って感じだけどいい感じの百合SFが書けそうです。

 内容を説明したいがよしておきます。下手にネットに構想を書くと、いつか似た内容の作品が他者によって世に出されたときに悔しさのあまり統合性を失調して狂いかねないから。
 まあ実際のところ、安い形で吐き出してしまうと安い満足感が発生してそれ以降書くモチベがなくなるってところが大きい。

キャラに名を与えるタイミング

 そういえばみなさまが物語妄想をするときって、名前とかってどう書いていますか?
私は下手に名前をつけちゃったりするとそれに引っ張られたりしてよくないと思うので毎回AとBとか甲と乙ってしてるんだけど、それはそれでなんか無味乾燥すぎるような気もする。
 ワンピースとかのマンガには俳優をモチーフにしたデザインのキャラがいろいろ出てくるけど、あれって構想段階から「文太が~」みたいなこと考えてやってるんだろうか。それとも12頭身くらいの奇人になってもよかったキャラが最終的な肉付けの結果田中邦衛になっちゃったりしたのだろうか。だとしたら面白い。

「真昼の暗黒」感想

 ゆんべは「真昼の暗黒」というフリーノベルゲームを友達と一緒にやりました。いや、実際には友達のプレイを配信機能で見ていたというのが正しいのだが、ほとんど選択肢のないノベルゲームなので、実際プレイするのとほとんど変わらないですわね。
 ちょうどまんなかくらいまで読んで、大変面白いと感じております。
 文章がおもしろい。言葉づかいが誇大ぎみで、いちいち圧がある。
 それは小説とかなら強すぎて飽きそうなもんだけど、ノベルゲームとして読んでいると、クリックして出る短文がバシッと印象的になる効果がでている。
 だから情報量は多いのにテンポが速いような感覚で没入できる。ミステリ成分があるので結末が重要だけど、中盤まででもだいぶ面白いので一見の価値ありだと思います。エログロ注意でR-15。


ノベルゲームについて

 ノベルゲーム制作ツールにティラノビルダーというのがあるそうで、「真昼の暗黒」もそれを用いて作られたらしい。
 UIなどもいろいろ凝れるようで、これでノベルゲー作りたいと思った。今日のサムネはギャルゲー檜山ルート。

 そういえば電撃文庫はDS全盛期に、「イリヤの空」とかの名作ラノベをDS向けにノベルゲーム化していたらしい。3巻ぶんで3700円と割高で、どれくらい売れたのだろうかとも思うが、プレイ動画とか見ると、なかなか面白そうであった。ただDSの解像度だとどうにもね……。

 ノベルゲームを小説あるいは文芸の一形態として考えるのは昔からあり、だいぶ可能性のあるスタイルだと思う。ただ現状、受肉される物語については、「かまいたちの夜に」以降の伝統と90年代エロゲ以降の流れが基本であって可能性にたいして広がりを欠いているように思う。

 ゲームってものはとうに老若男女に広がったのに、いちばん操作が簡単なはずのノベルゲームが最もニッチでマニアックな世界を構成しているのはなんとも不思議だ。

 任天堂が一本めちゃくちゃポップなノベルゲームとか作ったらあっさり世間の認識が変わるんじゃないか、ってレベルでそこにある壁は薄いと思うんだよな。

 まあ私自身も「もし一本だけノベルゲームつくるとしたら?」と問われたらバリバリエロゲの文脈を継いだ重くてエモめでオタクくさい絵柄の作品にしたいと答えますからね。そこらへんが問題だ。


歌物語のギミック

 ちょっと話題変えて、文芸のジャンルの話をすると「伊勢物語」のような歌物語ってすごいなあと思います。

 歌物語というのは、登場人物が作る歌が中心になっている物語、という言い方ができますが、私がすごいと思うのは登場人物が作る作品がノーカットであることです。

 世の中には小説家を題材にした小説や、漫画家を主人公とした漫画などがありますが、それらに挿入される劇中作は、ほとんどが抜粋されたものです。まあ割ける紙幅のことを考えれば当然ですが、その登場人物が実際に書いた作品の全貌を見ることはできないわけです。
 実在人物がモチーフの場合は劇中に抜粋された以外の、実際の作品を別で読めますが、基本的に伝記的な作品の主人公と実在の作家には大きな乖離があるので、それは全貌とはやや違いますね。

 しかし、歌物語では登場人物の作品がノーカットで載せられるので、作品内作品と作品の組み合わせとしてとてもうまく結びつけられるものだなあと思います。歌だけでなく「奥のほそ道」のような俳諧紀行文でもそうですね。
これはもちろん短歌や俳句というものが大変短いものであるという性質によって起きた違いですが、これは読者の視点的に結構おおきなことのように思います。
 作中人物の作をまるまる受け取れるということが発生することで、受容する位相が変わって、同じ目線に立てるような気がします。
 「伊勢物語」は実在の人物をモチーフとしてはいるものの、現代的な観点で言えばフィクションの物語に入りますが、当時的には事実のようなものとして解釈されたということがあったそうです。

 というわけで話をまとめますと、歌物語の作中歌はその性質によって作中人物を俯瞰ではなく、真正面からとらえることができるのではないか、ということです。「源氏物語」の光源氏がどんな人物だったか歌をもとに考察してるオタクっていまでもいますからね。

ノベルゲームつくりたい

 さてさて、話を戻してノベルゲー。小説に音や絵を載せられて、なおかつ選択肢分岐があることによって醸しだせる没入感を、歌物語みたいに、なにかうまくやれないものかなあと思っています。
 ドキドキ文芸部の詩づくりはいい着眼点だとはおもうが……。

 ノベルゲームの絵について思うに、映画的なカットは模範解答ではないように思う。そのシーンを表現した背景や立ち絵は、映画や漫画に比べて圧倒的に絵が少ない。最近の作品では1000枚以上の一枚絵があったりもするらしいが、それを長編ドラマのカット数や長編漫画のコマ数におきかえて考えたら、それでも少なすぎるとわかる。
 じっさいプレイするとノベルゲームの絵の少なさにはなれるんだけど、それは少ない絵が効果的なはたらきをしているのではなく、ただ単に見なくなる、意識から外れるだけだと思う。絵を意識せずに文を読んでいて、絵がかわったら「おっ見たことない絵だな」と一瞬感じさせてアクセントを生むくらいのもの(それはそれでいいと思うが)。「沙耶の唄」やったことないけど、グロ肉だって見慣れるんじゃない?

 だから絵の効果をもっと考えて作っていくべきだよなあって思う。私自身がやったノベルゲームの本数は少ないので、私が知らないだけのところも多いとは思うが。
 「真昼の暗黒」では暗転した状態で話がずっと進んで、そこでフと一枚絵が入るのがメリハリついててなかなか効果的だった。えがかないことの効能は、いろいろヒントになりそう。

 うーむまあ何かいい案が浮かべばやってみようと思います。ノベルゲームでノーベル賞とるぞ。


にょ