人が亡くなるということ
昨日、祖母危篤のため実家へ戻った。
昼に行ったときはかろうじて呼吸をしていたが、そこから2時間後に急変し、亡くなった。
ドラマでしか見たことなかった医師による死亡確認を間近で見た。
「午後3時57分、死亡を確認しました。御臨終です。」
泣いてるのは私だけ。父はこれからの怒涛の予定があるから泣いてる暇などない。祖父も泣いてない。母と弟は職場に電話しに行った。
祖父と私と亡くなった祖母だけになり、祖父がとうとう逝ってしもうた、わしはばあさんに世話になったんじゃ、とぽつり。
人が亡くなるというのは、感情がジェットコースターのように乱高下する。
人目を気にせず泣きたい気持ちと、社会人だから職場へ連絡しなきゃいけない、冷静にならなきゃいけないという気持ちと。
職場に湿っぽい感じにならないように、冷静な声で電話できてるのは、大人になったということだろうか。親や弟ならどうだったろうか、とふと考える。
昨日の夕飯はこれ以上ないくらい静かで、途中で泣きそうになった。こんなときでもお腹は空くし、濃い味付けのお弁当を完食できてしまう。食事が食べられることは生きることだとつくづく思う。祖父があらかた食べたことに安心した。
通夜、葬儀では何も気にせず泣きたい。
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