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令和5年6月7日という日

ご無沙汰の

 noteになりました 5月は台湾出張などで下書きだけが溜まり…あきませんね

 さて、最近改めて読み直した一冊から、あっと思ったフレーズです

 精神世界や人格上の勉強をかなりしている人が、最後の最後まで乗り越えられない「怒り」と「憎しみ」が、「正義感」と「使命感」から生まれ出てくるものである、ということに私が気づいたからでした。
 もしかすると最後に残った「怒り」や「憎しみ」は、人間の良心や良識というものをたくみに手玉に取った悪魔の仕業かもしれない、と思うのです。

正しい人から、楽しい人へ

 これは最後のページの記載なのですが、これかと感じました というのも、自分の中にある「独りよがりな正義」から生まれる怒りは何故か、どうすれば良いのかを悩んでいたからです

 これを読んで、怒りが悪魔の仕業ならば、神であればどうするのかと考えてみました 正義感が悪くないとするならば、その強さから生まれてしまう怒りでなく、他の感情は何か しばらく考えていました

 それは愛だなと そもそも正義感や使命感が良いものかは今回論点とせず、そこから発せられる感情に焦点を合わせるならば、相手に対して怒りを持って行動を変えさせようとするのでなく、愛をもって説いていく

 じゃあ愛をもってというのはどうなれば良いのか 赦しを自分にも相手にも持つことかなと今は朧げながら考えています 稲盛塾長は魂の構造図②で、魂の中心に自我と真我が備わり、これらがせめぎ合っていると仰ります この真我を少しでも増やしていけるように、日々一生懸命に生きるとありました

 結局行き着くところは愛なのですが、この文章からの考える道筋は少し自分の中で正義感から起こる怒りの扱いに理解が出来たように思います

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