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裏方を一回挫折する話

執念で無事新卒でとある音楽事務所に就職した私。
待っていた日常は想像以上の楽しさと同時に想像以上にハードな日々だったのでした。

楽しかった部分。

とにかく毎日毎時間毎分のように「裏方」をしていることが楽しくて仕方なかった。
勉強と称してライヴ現場にもたくさん行ったし、販促イベントのお手伝いなんかも物理的に行ける限りした。
レコーディングやMV、アー写撮影の現場は新鮮な発見だらけ。
研修の一環でのぞかせてもらった会議も面白かったし、雑誌やラジオなどのメディアの現場にもたくさんの出会いがあった。
超ベテランスタッフ直々の指導はもちろん、手とり足とり教えてくれた先輩は、スタッフだけに限らずアーティストもだった。

CDに自分の名前がクレジットされた。
年越しカウントダウンイベントで、年をまたぎながら仕事をした。
小さい頃からの夢が2つも叶った。

担当アーティストがイベントで大きなステージに立ったとき、胸の震えが止まらなくて泣いた。
ライヴ後、メンバーと一緒に「いつかまた絶対ここに返ってこよう」と誓った。
その日はメンバーも私も、お酒のまわりが早かった。

ハードだった部分。

物理的に体力がなかった。
例えば販促イベントやライヴはもちろん土日が中心で、でも新人の私に代休なんて概念はない。
いや、制度としてはもちろんとれたけど、代休とろうなんて考えもしなかった。
朝は遅い出社だったけど、夜はいつまでもいつまでも残っていた。
最終出社なんてしょっちゅうだったし、終電をなくして徒歩1時間帰ることも多かった。

人間関係の構築が下手すぎた。
マネージャーだけじゃない、どんな仕事だって人間関係は重要だ。
でもことマネージャー業は人間関係が全てみたいなものだった。
そこにいきなり飛び込んだ私はコミュニケーション力がなさすぎた。
社内のキーマンと、どうがんばっても連携がとれなかった。
メンバーや上司に強く言うことができなくて、遠慮ばかりしていた。
社長を無条件にこわがりすぎて、近づけすらしなかった笑
新卒ぺーぺー当時の私は、今となってはそれはもう笑っちゃうくらい立ち回りが下手だった。

当然、立ち回りの下手さは仕事に影響し始める。

業界知識がなさすぎた。
小規模のアマチュアライヴイベント運営程度の経験は、正直ほとんど何の役にもたたなかった。
全ての規模が大きすぎて、手伝おうにも何もできないことが多かった。
所属アーティストはもちろん、事務所が得意とする音楽ジャンルは一生懸命聴いたけど、それまで狭く深くで音楽にハマってきた私は、洋邦問わず日頃の会話に出てくるアーティストを知り尽くすことなんて耳がいくつあっても足りなかった。
会話についていけない。意見を求められても、意見できる土壌がない。

挫折なんてものじゃない、絶望だった。

楽しいこと、嬉しいことはもちろんたくさんあった。
でも、自分の不甲斐なさ、それが仕事に影響して、ミスがあって、誰かを怒らせて、めぐりめぐって戻ってきて、また自分を責める。
完全に負のスパイラルだった。

それでも執念でへばりつこうとしていた。
まだできる気がする、どうにかして、頑張れば。
しがみついてないと、せっかく掴んだ切符なのに。

けれど、実際の私はそうとう参っていたらしい。
体に激痛が走って、当時付き合っていた彼氏に説得されて病院に行った。
体が弱っていて、絶対安静を言い渡された。
初めてのツアー同行の前日だった。

悔しい悔しい悔しい悔しい
悔しい悔しい悔しい悔しい

ツアーは別のスタッフが代わりに同行した。
全てが何事もなかったかのように執り行われた。

あぁそうか、私じゃなくてもいいんだ
なんとかなるんだ

夢にまで見た憧れの世界に入ったのに、へなへなの新卒の心は1年でぽっきり折れてしまった。

それでも辞めるときは未練タラタラだった。
体が回復したら、まずは仕事力をつけて、一人前の仕事人になって、また業界に戻ってこよう。
そう自分を説得して、私は音楽業界から身を引いた。

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