見出し画像

「盛る」ってズルい??


つくづく言葉や行為そのものに染みついた匂いは、取れにくいものだと思う。


以前とある友人と話していたときのことだ。

ある女性のすっぴんの画像を見て、「詐欺だ」と揶揄していた。彼に「揶揄」と表現するほどの負の感情はなかったかもしれないが、少なくとも否定的なニュアンスに聴こえた。
「詐欺」とはもちろん化粧のことを言ったのだろう。化粧をすることによって良く見えていた外見が、実際は良くなかった。それを否定的に捉えた表現だ。この表現に、違和感を覚えた。


以前塾講師をしていたときのことだ。

女子大生が事務のアルバイトの採用面接に来ていた。
面接が終わり女子大生が去った後、事務の方々がその女子大生の話で少しざわついている。
聞けば、カラコンを付けて面接に来ていた、ということだった。アルバイトの採用面接のときにカラコンをしていることが不適切なのかどうかは分からない。まあ面接となると、確かに何か言われてもしょうがないのかもしれない。
しかし、しばらくすると、カラコンを付けることそのものを否定するような話しぶりになっていった。「そもそもカラコンなんて~」「そこまでして~」。そう否定的になるようなことだろうか。心に引っかかるものを感じながら、自分の仕事に戻った。


これと似たようなトピックとして、美容整形がある。
昨今日本でも海外文化として紹介されることがあるが、韓国では美容整形手術は一般的に行われており、整形という行為に対する抵抗感は少ない(自分自身がやるかどうかは別として)。
一方で日本では、整形という行為そのものに対して嫌悪感を持つ人が非常に多い印象がある。おそらく「ズル」「チート」という感覚なのだろう。「努力もせずにズルして見た目を良くしようだなんて認められない」というわけだ。

化粧、カラコン、美容整形と例を挙げたが、この類のいわゆる「盛る」行為は、その他にも大小さまざま存在する。そしてそのような行為に対して否定的な反応を見せる人、時には攻撃する人さえいる。


さて、こういった行為に対して、あなたはどのような感情を抱くだろうか。


僕は、「積極的に推奨するようなことではないが、決して否定するようなことでもない」と思う。
「盛る」行為は、見た目を良くしたい!という努力の1つの形ともとれるからだ。ズルでもチートでも何でもない。そもそもその行為を実行するにあたってそれ相応のコストやリスクを背負っているのだし。
視力を外的作用によって上げるメガネやコンタクトと、やっていることの本質は変わらない。「ある特定の身体機能を、外的な作用によって向上させる」ということだ。その特定の身体機能が、視力だったりルックスだったりするというだけだ。
とにかく言いたいのは、周囲がとやかく言ったり攻撃するようなことではない、ということである。

何事も否定するのは簡単だ。
完璧なものごとなどこの世に存在せず、どこかに必ず穴があるからである。
しかし、自分の周りに対する否定が多ければ多いほど、かえって自分が息苦しくなるものだ。
行為そのもののイメージに囚われず、その奥にある肯定的な意味に目を向けてみてはどうだろうか。


そして、「盛る」行為を揶揄されて傷付いたことがある、という人。
あなたはそのあなた自身の努力に自信を持っていいと思う。でも、様々なリスクがあることは忘れずに。本来の目的に沿う範囲で、後悔することのないようにしてほしい。


ここまで読んでくださりありがとうございます。投げ銭はいりません!サポートボタンよりも、下にある鳥のマークや"f"のマークをご覧ください。こちらから感想をシェアしてくださると嬉しいです!