バスケットボール選手の成熟について

前書き

バスケットボールの育成シーンに身をおいて7年間が経過しています。今までは指導について着目し、記事を執筆してきましたがテーマにあったのは「豊かな教育を提供する」ためにというなんとも自分本位、主観によるものでした。バスケはツールに過ぎず、人格教育の一環であるという前提に、具体的に選手たちに何を実装すれば良いか、具体的に描いてみようと思い今回は記事を書いています。

トップ選手を育成する上で大切だと感じたことがこの「成熟」というワードです。精度を上げることなのか、人間として完成された考え方を身につけることなのか、これは自身(大人)にも当てはまるワードで、そもそもこれを書いている私は成熟しているのか?などと実に哲学的で面白いワードにはなります。ただし、今子どもたちを見つめている中でこの「成熟」というアードが1番しっくりくるので用いてみました。

土台の形成期

初心者というわれるステージは誰にでも存在します。この時期から壮大なバスケットボールジャーニーは始まるわけですが、出会う環境やコーチ、メンバーに大きく左右されてしまうくじ引きのような始まりから、選手が歩む道のりによってその道程は変わっていくものです。何が正しいかなんて誰にもわからない、けれど色々なことをみてきた私の目線から「こうあれば正しいよね」という選手の状態をその時々のステージで表現できていればいいと思います。

最初の岐路

初心者、初級で最初に出会うのが何のためにバスケをしていくのかという目的の選択です。ここは保護者が多いに介入すべきポイントですが、本人の適正や意思を尊重するのもポイントです。そして1番保護者の力量が問われてしまうポイントです。

楽しくやりたい(PLAY FOR FUN) vs 勝ちたい(PLAY FOR WIN)

この二つの考え方は水と油ですので同居することはできません。
両者も正義でありますので、特に環境としてはどちらも大切にしてあげなければいけないのでコーチをはじめ大人たちは非常に難しいと思います。
子どもの心身にはどちらも欠かすことができない要素ですが、何で学ぶか、何で経験するかという部分で「バスケットボールである必要がない」と判断できることもあるでしょう。

余談ですが、アメリカ社会の仕組み、教育の考え方で少し感銘を受けたのが「夢を捨てさせ、新たな希望を見出す力の高さ」です。
僕は向いていないから、バスケをプレーするのはやめた。けど情熱があるからバスケに関わる仕事をしたい。そして、自分の才能を発揮したい。

GSWのドキュメンタリーにもありましたが、
自分が他者に勝てない領域で無駄にがんばり続けることの無意味さ、非合理さなどについてかなりシビアに捉えられている社会です。ただし、そんな世界トップで戦うことができない選手が自身の居場所を持ち、懸命に戦うことができる「ユニーク」な仕事を作ること、得ることへの価値の高さはいうまでもありません。

話はそれましたが、スポーツはこのどちらの道に進むことにも等しく教訓を与えなければいけない、それが「少年(少女)スポーツの価値」です。

子どものうちに学ぶべきは、
・勤勉さ
・努力による成功体験
・ものの考え方

最後にかなりざっくりしてしまいましたが、指導者はあらゆる指導を通じてどのように物事を考えるべきかを教えてあげなければいいけないし、かなり細部までこだわりを持たなければいけないのです。例えば、


それぞれの基礎技能を教える

基礎技能を使える

ゲームの中で使える

発展的な技能を学ぶ

発展的な技能を使える

ゲームの中で正しく使える

このフローが今現実でおこっているスキルに関するフローだと思います。
多くの子どもは発展的な技術を先行してインターネットから得て、習得し、使っています。意味のない無駄なステップバックが横行していたり、入る兆しのないロゴスリーなどがいい例です。

自発的な意欲に対して学びをやめろというのは違います。でも考え方を教える(強制するのとは違います)ことが大事なのは今の時代だからこそより大切に思えます。

シュートを決めるということがどういうことなのか、
シュートを打つということがどういうことなのか、
シュートをどのような気持ちで打たなければいけないのか、

ただのレイアップ1本にこれだけ物事を考える機会があります。
こういったことを動作の細部にまずはもたらすことが大切で、全体をひっくるめて『楽しい』でコーティングしてあげないといけません。
子どもへの指導は本当に大変ですね。

アスリートだけじゃなく、どんな子どもたちにも人間としての基礎、土台を作る時期だからこそまずは人間性を高めてあげるような指導をしなければいけない。勝利のみを追求、はたまた楽しいだけを追求するようではいけないですね。思いやり、素直さ、今後の成長に欠かすことができないことを大人みんなが教えてあげなければいけません。

勝ちたい・・・を選んだ子
競争期に

勝ちたい。これは単純にレースです。
バスケットの場合は自分が輝くことができるチーム選び、環境設定、育成、指導、全てをひっくるめて「他者より優れるか」というのが大事です。
他者より優れるためには他者より良い積み重ねをすることです。
残念ながら、この積み重ねの差が育成年代の単純な勝敗の分かれ道で、もっと細かいことをいうと当日の調子を含めた運さえも関与してきます。巡り合わせこそが全てという形。

ただし、競争期こそが選手が最高に成長する瞬間です。
そしてリスクが潜む瞬間でもあります。メンタルの成長は人間の経験に基づく部分が大きく、家庭環境にも由来します。チームで行うチーム戦であり、また家族も一単位のチームである。そう、チームはチームの集合体であるということが前提にあります。

よく見聞きするのは、チームを束ねようと一生懸命になる家庭が他の家庭を卑下、仲間外れにしたり、足を引っ張りあったりするという光景です。これは共通の目標が無かったり、共通にメリットがない場合に発生するトラブルで珍しいものではありません。家庭間の距離が近ずぎるミニバスによくみられます。距離が近いというのは、他の人(違うグループ)にとっては逆に距離を生むアクションであるということも忘れてはいけません。

選手の成熟のために必要なこの競争という経験は、選手の技能のブラッシュアップに最適です。持ち合わせている基礎技能の正確性を競うこと、持ち合わせている技術の幅について競い合う期間です。
大人としては、「ユニークさ」を忘れてはいけなくて、誰しもがあるモデルのような活躍を見せる必要はなく、それぞれの成功イメージを共有して、そのイメージ通りに成長を遂げていくビジョンを示すことがコーチングです。選手はそのイメージを持ちつつも他者との比較を楽しんで行けばいいだけです。

IQとよばれる知識については、この時期に深めていかなければいけません。判断と呼ばれる部分では、特に「リアクション」ができなければいけません。リアクションとはあるプレーに対して自分が次にどのように動けばいいのか、という動きです。
スペースがどこにあるのか、
相手のDFがどのような位置にいるのか、
仲間がどのように攻めてゆくのか、
こういったアクションに対する『リアクション』です。

バスケで大事なことは
「正しい時に正しい場所にいること」
多くの選手がこのスペーシングとリロケイテッドという概念を持ちません。
これは本当に突き詰めていくとプロ選手でも難しい技術です。さらにはチームによって正義が変わります。

だからこそ、全ての手前にある基本的な『リアクション』について学ぶ必要があります。

最後に、コミュニケーション

最後と言っていますが、実はコミュニケーションは最初の領域、初級の形成期にこそ伸びるものだと思っています。
むしろ、性格的にも適正、不適正が出てくる場面だと思いますが、こちらも訓練次第でどうにでもなるかと思います。確かに啓発が必要な場合がありますが、その先の発展的な部分については学問になるくらいですから、その辺の子どもたちが完璧にこなせるはずありません。
ただ、チームワークで最も大事なことは話すこと、伝えること、聴くことです。

あまり多くに触れていないですが、バスケに置き換えると、人をまとめようとか、モチベートさせようとか、そんなことではなくコートの中で起きている情報を的確にプレイヤーに使えることができればいいだけです。

だけといってもそれが難しいわけです。
主観を持ちながら客観で物事を使える、いや、そんな難しいことは考えないでとにかく最初は「起きていること」を伝えていくだけでいいのです。色々なところを見ながら体を動かすマルチタスクを求められるということです。


まとめ


バスケを始めてから、上手い選手を目指すことや強いチームに入ることを目的としてただ鍛錬を行なっていくのではなく、成熟を目指した活動をしていけば自ずと結果はついてくると思います。
するとバスケ活動の計画はシンプルになるし、あとはどこかでチャレンジをすればいいだけです。
私もU15でトップ選手を育成するとしたら、ミニバスの間にリアクトだけ学んでくれていればいいと思ってしまいます。
どんな選手がリクルートされるのか、それは年代によって異なりますが、ある程度を経験すればあとは環境を変えてひたすらにチャレンジを繰り返すだけですから、選手を早く成熟させるに越したことはないですね。

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