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意外と知らないフリースローの歴史。「スリー・フォー・ツー」って知ってました?(前編)

ミニバスのコーチ陣たち(全員40代)で飲んでいた時の話。

昔のバスケットボールのルールの話で盛り上がり、やれ「昔は中学は男子も6号球だった」とか「チームファウルは7ファールだった」とか「そのまえに8ファールってなかったっけ?」とか、みんなが「そうそう」となっていたのですが、その中で、一人のコーチから「昔のフリースローは、スリーフォーツーだった」という発言がありました。

私を含む他のコーチ陣は全員「???」となったのですが、どうやらそんなルールが昔はあったとのこと。
完全に初耳でした。

ということで、気になったので日本におけるフリースローの歴史を調べてみました。

1924(大正13)年

1924(大正13)年 に発行された規則書に、すでにフリースローに関する記載があります。どうやらフリースロー自体は初期のころからあるようです。

フリースロー・ラインをそのままサイド・ラインまで延長し、それをゴールゾーン・ラインと呼び、そのラインからエンド・ラインまでの地域をゴールゾーンと称した。そしてそのゾーン内でのファウルとその他の地域でのファウルに対する罰則(フリースローの数)を区別した。すなわちパーソナル・ファウルに対する罰は
(1) ゴールゾーンにいるポールを持ったプレイヤーに対して犯したときは2個のフリースローを与えた。
(2) ゴールゾーン以外の場所からシュートしつつあるプレイヤーに対して犯したときも2個のフリースローを与えた。
(3) その他の状態のときのファウルはすべて1個のフリースローを与えた。 (4) シューターに対するファウルで、そのシュートがはいれば得点を認め、さらに2個のフリースローを与えた。

NPO法人日本バスケットボール振興会 ルールの変遷Ⅰ

ゴールゾーンという概念があったのが新鮮です。ファウルに対しては全てフリースローが与えられていますし、カウント2スローなので、かなりフリースローが重要なことが見て取れます。

以降、ルールの変遷を見ていくと、フリースローはかなり頻繁に変更されています。ルールの歴史=フリースローの歴史と言っても過言ではありません。

1929(昭和4)年

新しいフリースローのルールが登場します。

ゴールに向かってシュートしつつあるプレイヤーに対し、同時に2人 またはそれ以上の相手方がファウルをした場合は、それぞれに反則の記録をしたフリースローは反則した選手の数だけ与えられるように なった。(マルティプル・スロー)

NPO法人日本バスケットボール振興会 ルールの変遷Ⅰ

「マルティプル・スロー」ってのは初めて聞きました。
が、なんと1995年までこのルールはあったようです。

1932(昭和7)年

この年は比較的大きなルール変更があった年で、センターラインが制定されたことで、10秒ルール(後の8秒ルール)、バックパスができました。

シューターに対するファウルでは、ポールがバスケットには入れは得 点とし、追加のフリースローは1個だけ与えるようになった

NPO法人日本バスケットボール振興会 ルールの変遷Ⅰ

シュートが入った場合にボーナススローがもらえる(バスケットカウント)、というルールは初期からありましたが、このカウント2スローが1スローに変更され、今のルールの原型ができています。

1946(昭和21)年

戦後、国際社会への復帰が認められない中ではありましたが、アメリカン・ルールを翻訳する形で規則が作られました。

・フリースローを放棄し、アウトからのスロー・インを選ぶ権利が与えられた。2個のフリースローを得たときは、1投目をスローしたあとキャプテンが申し出て2投目を放棄し、再びアウトでボールを所有することができた。同様に1個のフリースローを与えられたとき も、それを放棄して2点をねらうことが可能であった。

テクニカル・ファウルが起こったときは、1個のフリースローを投げたあと、さらにボールをディビジョン・ラインのアウトでそのチームに与えた。

NPO法人日本バスケットボール振興会 ルールの変遷Ⅰ

フリースロー1投を放棄してスローインを選択できる「フリースローの放棄」が新たに制定されました。以降このフリースローの放棄は形を変えつつ長く適用されることになります。
また、テクニカルファウルはこのころからフリースロー1本+マイボールという今のルールに近いものになっています。

1953(昭和28)年

形は少し違いますが、おじさんプレーヤーになじみのある「ワン・エンド・ワン」という概念が初めて登場します。

パーソナル・ファウルに対する罰則が重くなり、ゲームの終わりの3分間ではすべて2個のフリースローを与えるようになり、それ以前のときも1個のフリースローが成功すれば、ボーナスとしてもう1個の フリースローを与えた。(ワン・エンド・ワン・スロー)

NPO法人日本バスケットボール振興会 ルールの変遷Ⅰ

このころはまだ全てのファウルに対してフリースローが与えられているので、フリースローの重要性は今よりもあったようです。

1957(昭和32)年

戦後初めて国際復帰を許され、メルボルン・オリンピックに参加したことで、急速に国際ルールに統一しようとする気運が高まってきました。
しかし一気に変更することは混乱を招くため、これまでのルールと併合した形で変更がなされました。

・ボールを得た攻撃側チームがそのバック・コートでファウルされたときは故意のファウルを除いてフリースローは与えずサイドからのス ロー・インで再開された。

・シューターに対するファウルで、ゴールが成功すれば与えていた1回 のフリースローがなくなり、得点を認めファウルの記録をするだけですぐに再開するようになった。(故意のファウルの場合を除いて)

フリースローの放棄はできない

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フリースローに関しては、これまで全てのファウルに対して与えられていましたが、バックコートでのファウルが対象外になりました。

また、故意のファウルを除いてバスケットカウントもなくなったり、フリースローの放棄もできなくなったり(後に復活)と国際ルールとの併合によって変更が多い年でした。

1961(昭和36)年

ローマオリンピック以降は完全に国際ルールになり、再び大きな変更がありました。

・ファウルに対する罰則も、シュート動作であったかどうかの区別だけで、場所に関係なくその動作中でなければサイドからのスロー・インでただちにプレーが再開された。

・ シューターに対する故意のファウルでも、そのシュートがはいれば得点とし、追加のフリースローは与えなくなった。そのかわり試合の後半の終わりの5分間と延長時限だけは特別に扱い、すべてのパーソナル・ファウルをシューターに対するものと同じにし、2個のフリースローを与えた

NPO法人日本バスケットボール振興会 ルールの変遷Ⅰ

最後の5分間を特別に扱う、という新しい概念が登場しています。これは、現在の最後の2分間に通じるものがある重要な変更です。

フリースローも最後の5分間以外は、シュートファウルに対してだけに与えられるという今のフリースローに近づいています。

1969(昭和44)年

一旦なくなっていた「フリースローの放棄」が復活します。

・ゲームの終わりの5分間の特別扱いを3分間に縮めた。これは5分間 起こったすべてのパーソナル・ファウルに2個のフリースローを与えていたため、試合時間が長びいて運営上支障をきたすことから短縮さ れたのである。

・さらに、その3分間に2個のフリースローを得たチームが、それを放棄してスロー・インから再び攻撃できる選択の権利を与え、フリース ローをすることによる試合時間の長引くのを防いだ。このときの放棄の条件は以前あったときのものと違って、1個だけのときと2個のうちの2投目を放棄することはできないもので、あくまで2個のフリースローを放棄することが条件であり、2点のチャンス放棄に対して同 じように2点取得の機会を与えるという等価交換しか認めない国際 連盟の考え方が出されている。

NPO法人日本バスケットボール振興会 ルールの変遷Ⅰ

ゲーム終盤の特別扱いが5分から3分に短縮されています。
さらに、その3分間においては一度なくなっていた「フリースローを放棄して攻撃権を得る」というルールが復活していますが、以前のルールと違い、攻撃権を得るためには2個とも放棄する必要がありました。

1973(昭和48)年

初めてチームファウルの概念が登場します。最初は「10ファウル」でした。 

・最後の3分間の特別扱いの進行条件は全競技時間に適用されるよう になった。すなわち(中略)「フリースローの選択」は試合開始から適用されるようになった。そして 故意のファールやシュート動作中のプレイヤーに対するファウルを除いては、フリースローは与えられない。

・ 1チームが1試合に犯すファウルの数が増加する傾向に対して、1チ ームが各ハーフに10回のプレーヤー・ファウルを犯したあとは、罰 として相手側に2個のフリースローを与える「テン・ファウル・ルー ル」が設けられた。

NPO法人日本バスケットボール振興会 ルールの変遷Ⅰ

最後の3分間の特別扱いもなくなっています。これにより、全時間を通してシュートファウル以外はフリースローではなくなり、フリースローの選択ができるようになりました。

1974(昭和49)年

バスケットカウントが復活。
いよいよ現代のルールに近づいてきます。

ボールを保持しているチームのプレイヤーがファウルを犯したとき は、相手にフリースローを与えずサイドからのスロー・インで再開されることになった。

・シューターに対するファウルで、そのシュートが成功したときは「バ スケット・カウント・ワンスロー」が復活し、ファウルに対する罰を 重くした。

NPO法人日本バスケットボール振興会 ルールの変遷Ⅰ

また、オフェンスファウルにはフリースローを適用しないという現在にもあるルールがここで登場しています。

1977(昭和52)年

ついに出ました!
「スリー・フォー・ツー・ルール」の登場です。

・シューターに対するファウルで、そのシュートが不成功の場合に与え る2個のフリースローのうち、1個でもはいらないときにはさらにもう1個を与える「スリー・フォー・ツー・ルール」を設けた。

NPO法人日本バスケットボール振興会 ルールの変遷Ⅰ

ようやく「スリー・フォー・ツー」が登場しました。フリースローが不成功の場合、最大3本打てるというルールです。

この時点でまだ私は生まれいないのですが、このルール本当に知りませんでした。
このスリーフォーツーは1985年までの8年間だけのルールだったので、小4からミニバスから始めていたとしても、49歳以上(2023年現在)の人しかわからないルールだということが分かりました。

この後もまだまだフリースローのルールは変わっていくのですが、続きは後編で。


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