日記 第0章・・・ミニバス編
息子の名前は「涼」 りょう
小学3年生になった涼は急に
「野球がやりたい!」と言ったので、速攻で金属バットを買いに行ったのですがその3日後に、やっぱりバスケやるわ!・・・
バット代6,000円返せ・・
っていう感じで、彼のバスケ人生が始まりましたw
正直、私は彼のバスケに関わるつもりは全くありませんでした。ミニバス入団直後の練習試合にはコーチや保護者にお世話になるので挨拶に行きましたがそれから6年生でキャプテンになるまで、ほぼ試合を観に行った記憶はありません・・・し、仕事が忙しかったんです・・・いや、私はバスケに全く興味が無くなっていました。
特にこれだと言う理由は無いのですが、自分なりに中学時代に死ぬほど頑張ったと言う自負があったので、大人になってバスケやったり、関わる理由が無かったのです。
しかし、涼がミニバスでキャプテンに指名された!と、妻から聞いた時に流石にこれからは毎試合観に行こうと決めました。それと同時に涼に
・本当にキャプテンをやるつもりなのか?
・キャプテンってどういう役割か分かってるのか?
・最後までやり切れる自信はあるのか?
・そもそもキャプテンをやれるほどチーム内では上手いのか?
と、心配になり涼に問いました。
答えはたった一言。
うん!余裕!
ってそんなわけないじゃんww
でもまぁ本人がそう言っているから大丈夫だろうと思い込み、全力で応援することに決めました。
新キャプテン就任後初めての試合!!
キャプテンになり初めての試合を観に行くことになりました。
私は彼がどういう練習をしていて、コーチがどういうチーム作りをしているのか等は何も知りませんでした。さらに彼が
・どういうプレーをしたいのか
・どうやってチームに貢献するのか
・自分はどうなりたいのか
何も知りません。
色んな意味で期待をしながら観戦する事となりました。
正直なところの感想は、ミニバスだからこんな感じなんだろうなぁ~でした
まだ新チームになって1回目なのでこれからだろうと感じましたね。
・感じた事
ゴール下は小学生の運動会の玉入れ状態
エンドラインからのスローインでゴール裏にあてる
ベンチの指示を全く理解していない
ツーガード以外あんまりうまくない
自分の試合以外は遠足に来たと勘違いしている
保護者がボールを運んだり、過剰な手伝いをする事がルールになっている
コーチ陣のお弁当を買いに行かなくて行けない
コーチ陣のお弁当が好みじゃないとめっちゃ嫌味を言われる
コーチ陣がタバコばっかり吸っている
ベンチのコーチ陣が理不尽な事を言う
ベンチのコーチ陣がキレて試合を放棄する
6以降がかなり気になりました。
特に10と11は目に余るものを感じましたが、今日はこういう日なのかなぁ~位に思うようにしました。
しかし、何回試合をしてもたいした変化もありません・・・
嫌な予感はしていました。
まずコーチは全員バスケの経験者なのか?
コーチはどのくらいバスケの事を知っているのか?
コーチは現役時代試合に出たことあるのか?
毎年自分のやりたいバスケを教えているんじゃないのか?
毎日バスケの勉強はしているのか?
と言うような事を妻に聞いてみました。
妻の返答は
1 一応経験者
2 10年以上指導している
3 わからない
4 多分そう
5 わからない
って言うか、いつも妻は私にこのような事を話してくれていたようです…
そう言えばミニバスの愚痴を結構言っていたような気がしてきましたw
妻がいつも言ってた事はこう言う事だったのかと、腑に落ちました。
とは言え、ボランティアで指導して頂いているので、余計な事は言えないどころか、きちんと感謝しなければいけないと自分に言い聞かせました…
試合を観て涼に体力が無い事をダメだしし続けた結果、夏休みのほとんどを走り続けた涼には正直びっくりしたし、尊敬を覚えました。
きっとこれで体力がついて自信がつくし、疲れてもプレーが雑になったりしなくなるから、さらに自信が付くだろうとうれしく思いました。
事件です!!!!
そんな中事件が起きました!
保護者の一人が懇親会中にコーチに暴言を吐き揉め事を起こしたと妻から聞かされました。
どんな事を言ったのかは知りませんが、後日コーチが
「もうこいつらの面倒は見ない!勝手にしろ!俺は女子ミニだけ見ることにする!」と、ブチギレたのです。
妻は「どーせ何もなかったかのように戻ってくるよ…俺がいなきゃ無理だろ!って感じで」
…と、呆れていました。
しかし、そこそこ長くボイコットが続いていたようで保護者は焦り始めていました。妻が私に「ねぇ!もう戻ってこないならコーチやってよ」と、とんでもない事を言い始めました。
聞いたら他の保護者も戻らなくていいから出来る人にコーチしてもらおうよ!的な話をしてたみたいです。
とは言え、コーチは他に4人くらい居るのだから、その人達がやるべきだと思うんだけど…いや、その前に暴言を吐いたのだから親がコーチに謝罪し、コーチが許せないようなら退団も仕方ないんじゃ無いかと妻に伝えました。
そうこうしているうちに謝罪をし、暴言を吐いた親の子供の退団も免れ、コーチは何事もなかったかのように練習に復帰しました。そして、こんな事を言ったそうです。
「やっぱり俺がいないと何も出来ないな!お前らは全然ダメだな!」と、言いながら椅子に座ってふんぞり返ってたそうです。
本当にやっぱりダメだな…と感じたと同時に入るクラブを間違えたと感じ、深く反省をしましたw
医師と妻のミス……
良くわからない揉め事は落ち着き最後の大会も近づいてる事もあり、涼にはいつも「やれることは全部やれよ!ゲームしたいからとか、面倒くさいからとかの理由でサボったら絶対後悔するぞ!だからやりきれよ!」と気合いを入れていました。
気合いを入れ過ぎた事が原因なのか、大会2週間前に涼が高熱を出したので病院へ連れて行きました。
まぁまだ日数もあるしちゃんと直して練習を頑張れば大丈夫だろうな…と思っていたら、入院になってしまったのです…理由は盲腸っぽいからだそうです……
先生に「早く検査して手術してください!」とお願いしました。そして、検査の結果盲腸ではないのでまず内科の入院棟へ移ってください!と言われました。流石にイラっと来たので、そんなことどうでもいいから症状をきちんと伝えてください!とキレ気味に伝え、すぐに妻と症状の報告を受けました。
医者「盲腸では無いと思うんですよね…でもなんかここが気になるんですよね」
私「2週間後に最後の大会があるからちゃんと分かるように説明して、退院させてください。どのみち炎症を起こしているのなら取ってくださいよ!」
医者「まあでも点滴と薬で様子を見ましょう。それで熱が下がれば問題ないので」
しょうもない医者しかいない病院で有名なのですが、もう情けなくなってしまいました…
そして入院4日目の事です。
医者「外科病棟に移動しましょう!これは盲腸です!」
私「おい!何言ってんだよ!ふざけんなよ!手術いつやるんだよ!」
医者「微熱があるので完全に収まってからです!」
私「大会間に合わないですよね?」
医者「おそらく……」
結局、涼の微熱は2日間続き、手術の準備の1日を入れて、手術は大会の7日前に行いました。手術前からずっと点滴だった涼は、これでもかって言うほどやせ細り、色白の肌はさらに白くなりもはや透明になっているように感じました。
完全に医者のミスだなぁと、訴える想像してみましたが、絶対に勝てないので秒で諦めましたw
そして、大会に間に合わない事を伝える時は本当に可哀そうだなと思いましたが、本人は以外にあっさりしてたのでびっくりしましたw
まぁ夜泣いてたかも知れませんが…
翌日、お見舞いに行くと若い女性の看護師さんと楽しそうに話してる涼を見て正直ほっとしましたw
こうして涼はミニバス最後の大会に出ることは出来ませんでした………
違うんです、妻がミスって私に最後の大会と伝えたのですww
2か月後に最後の大会があるそうです!県大会に行ける大会とかでは無いらしいのですが…
何やってんだよ!医者も妻もミスだらけだな!
ミニバス最後の大会
盲腸の傷痕もすっかり良くなり、いよいよ最後の大会に向けて本格的に練習が出来るようになりました。
正直、この時期は仕事が忙しく、あまり涼とバスケの話は出来ていませんでした。
それに、私は涼のミニバスにはほぼ関わっていませんでした。保護者の飲み会とかに1回も出た事もありません。最後だから一緒に懇親会出ない?と、妻に言われたりもしました…
あのコーチ陣とまともに会話するのは無理なので、頑なに出席は拒否をしましたw
センスのある子や、人一倍努力をしてさらに個人練習をやる子はコーチの指導なんて関係なく上手くなります。強くなるのとはまた違いますが…
それをミニバスが終わって中学でバスケやってる時まで
「アイツは俺が育てたんだ!アイツは俺の最高傑作だ!俺が教えてるんだから全員アイツみたいになれないのはおかしい!」的な事を恥ずかしげもなく良い切っちゃうアホな大人です。
おそらく二言話したら私がブチギレるでしょうw
バスケ舐め過ぎだし、関わるとこっちが損するタイプの人間なので一切の関わりを持たないようにしました。
おそらく学生時代に本気でバスケをやった事が無いのだと思います。
大人になると過去の自分の事をとんでもなく美化し、経歴を捏造するやからが多数出てきます。
彼もその一人でしょう。
私は彼が学生時代にバスケをやっていたと聞いた瞬間に、こいつ絶対1回も試合に出た事無い奴だなと感じました。
案の定知り合いが心配して私に聞いてきたのです。
アイツは昔バスケやってたけど、まったく試合も出た事ないし一生懸命でもなかったぞ…そんな奴がバスケって教えられるのか?と、心配をしてくれました。
私は「大人になってから一生懸命バスケをやったんじゃないですかね?あと、プレイはダメでも、コーチングが長けてる人や得意な人はたくさんいると思いますよ…彼は違うと思いますが…」と、返答しました。
でも、アイツは人としてまずくないか?小学生を相手に何かを教える事なんか出来るのか?
こんな感じで永遠に疑問系の質問が続きましたw
とは言え、最後の大会はそこまで迫ってます。
涼は自宅の車庫でドリブル練習をしたり、朝ランニングしたりと一生懸命大会に向けて努力をしていました。
しかし、大会の結果はと言うと
予選リーグを突破できずに敗退となりました。
でも、今までの中で一番動けていたし、点も取れてたし、アシストも出来ていたしDFも頑張っていました。
妻は泣いていました。
小学4年生から週に3回の練習の送迎、週末は練習試合等の送迎と、初めてこんなに長く子供の習い事と言うかスポーツに関わったので驚きと疲労の連続だったと思います。
涼が一生懸命頑張っている姿もそうですが、チームメイトの成長や努力を見てきたので、もうこれが見れないのか…と思ったら胸が熱くなってしまい泣いてしまったそうです。
最後の大会の帰りの車の中で涼に聞きました。
私「中学でもバスケやるの?」
涼「当たり前じゃん!お父さん達はバスケ部で唯一県大会に行ったんでしょ?」
私「全中予選ではな…だから何なの?」
涼「俺は県大会1回戦を突破する!大昔の記録なんてサッサとぬり変えてやる!」
私「おぉ!やれるもんならやってみろ!って言うかお前さバスケなめてんじゃねぇぞ!」
ミニバス編 完
エピローグ
妻には本当に感謝しております。
自他ともに認める球技音痴の彼女が涼のプレーについて、あーだこーだ言ってる姿には流石に笑いが堪えられない時が多々ありましたw
涼はいつも「バスケやった事もねぇー奴にゴチャゴチャ言われる筋合意ねぇんだよ!」とキレていましたww
とは言え最後の大会後、涼は妻に
「3年間送り迎えとお弁当作ってくれてありがとう」とコッソリ感謝を伝えたらしいです。
次から本編の中学バスケ編が始まります!
ぜひ見てください!!
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