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あと何回、君のドラゴンクローをくらうことができるだろうか。

止まないドラゴンクローの嵐と、完璧な一日

4才の長男は僕を見つけるや否や、僕の下半身のさらに下あたりに蹴り技の応酬を仕掛けた。漫画『喧嘩稼業』に出てくる技:煉獄のように、休む暇もなく攻め続ける小さな格闘家。技名はドラゴンクローというらしい。クローと言いながら蹴るんかいと言うのはさておき、攻撃は止まらない。2才の次男も兄につられてまねっこクローを繰り出している。ダメージは大きくないが、二人の攻撃を避け続けるのにも体力を使う。

僕には二人子供がいる。お調子者で甘えんぼだが、面白くて優しい長男。女の子にも間違えられるくらい可愛く、最近よく喋るようになった次男。今日は夏休みを利用して、僕の両親と共にイオンに来ていた。お盆過ぎの平日のイオンは人がまばらだ。

まずは、室内のプレイランドで遊ぼうと決めていた。受付で「カードは持ってないですか?あのお子さん達見覚えがあるんですが、お忘れですか?」と聞かれる。「すみません、持ってないです。」と伝える。息子達は、慣れた手つきでフリープレイできるワニワニパニックをプレイする。ワニが出てくる穴の担当を兄弟で決めて協力プレイしていた。僕が高校生になって気づいた最強の法則にもう気づくとは。我が子ながら将来が恐ろしい。

マックでお昼。ハッピーセットを5つ注文する。ハッピーセットを頼んだ分だけ、幸せになれる世界だったらいいのになあ、とふと思う。そしたら、大富豪達が必死の形相でハッピーセットを買い占めるのだろうか。その光景を想像し、滑稽さに少し笑う。もし、幸せが数値化できるとしたら、今僕と子供の幸せ数値はどれくらいだろうか?ハッピーセット5つ分くらいは幸せに近づけばいいのにな。

『映画ドラえもん のび太の新恐竜』を観る。

これは、のび太が恐竜キューとミューの親となる子育て記録だ。恐竜のエサが何か分からず、全くエサを食べようとしないキューにもう知らないと言うのび太。それでもやはり気になり、夕食の刺身を与えてみる。恐る恐るキューが食べ出した光景に思わず泣きそうになる。突然、吐き戻しをしてしまったキューを助ける為、のび太が夜中に飛び出すシーンもある。完全に親だ。小さい子供には少しだけ長いかもしれないが、伏線の回収も完璧で、親も子も楽しめる映画だ。

涼しくなってきた公園に立ち寄る。うんていで遊ぶ息子達。僕はうんていで遊ばせるのがすごく怖い。落ちないように支えながら、足を踏み外さないように見張っている。そんな心配はいざ知らず、すいすいと進む。本当に色んなことができるようになったな。

夕食にフードコートでラーメンを食べる。息子を抱えて食べている時に、ふともも付近がじんわりと熱を帯びた。2才の息子のおしっこは僕のふとももの上で行われた。コロチキのナダルさんの言い方で「やっちゃってる?」と息子に聞く。ウケたから許すよ。

室内遊び、映画、外遊び。ハッピーセットと映画館でもらったドラえもんの本を大切に抱える子供達。子供たちのトイレ事情を除けば、我ながら完璧な1日だ。そして、夏休みで僕が息子達に会うことができる最後の1日となる。妻とは別居し、お互いに弁護士を入れて離婚係争中だからである。

親から子へ受け継がれる心の傷

子供達は妻の実家近くに新しく住んでいるらしい。僕は住所も知らされていない。今日訪れたプレイランドも何回か来たことがあるらしかった。

僕はシングルファーザーになろうとしていた。もちろん、無理ゲーであることは理解している。それでも、保育園に預けることができたなら、リモートで働けば何とかなるところまで環境を整えていたのだが・・・。これから先どうなるかはまだ分からないが、その願いを叶えるのはなかなかに困難らしい。

遅筆の僕だが、妻に対しては3時間で7兆文字くらい書ける気がする。もちろん、相手も然りだろう。ただ、フェアじゃないので割愛。一コマで言うとこういうことだった。

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『怨み屋本舗WORST』12巻 114Pより引用

家庭という小さなコミニュティにおいて、どちらか片方が自分の正義を盲信した時点で簡単に家庭は崩壊する。自分だけの正義は、相手の意見をはねのけ、怒りを生む。それすらも包み込めるのが男としての器の大きさなのかもしれないとも思うが、僕には無理だった。

子供のためだけに働いた。どブラックの現場で働いていた時、結構辛い場面も多々あったが、それでも働けていたのは子供たちのおかげだ。帰った時に、トコトコと歩きながら飛び付いてくる。「ぐるぐるして」と両腕にぶら下がり回転を要求する。僕のふとももの上に当たり前のように座ってテレビを見る。服を着るのを嫌がり、裸でちんこ音頭を踊り出す。ウンチが付いてないか僕の顔の前でお尻を突き出す。全てが愛おしくて、もう他のことはどうでも良かった。僕は気づかない内に癒されていたんだなと今はすごく思う。

子供たちと意図しないタイミングで急にお別れとなったあの日、端的に言って死んでもいいかなと本気で思った。息子ができるまでは、小さい子供のことは特に好きでも嫌いでもなかった。自分でも、何故こんなに息子のことが好きなのか理由は分からない。依存するものが欲しかっただけなのかもしれない。

そんな最愛の息子達に傷をつけることになるのか。

自分がつける傷を擁護する意図は全くないが、昔拝見した岸田 奈美さんのnoteで、強く共感する部分があったので引用させていただく。

おそらく、すべての親(または親代わり)は、子どもの心に傷をつけるということだ。
それが良い親であっても、悪い親であっても。
傷は、寂しさ、怒り、劣等感、期待など、いろいろだ。
時には、愛すらも傷になる。
愛が大きければ、傷も大きくなることもある。
〜中略〜
傷の痛みは、人生においてつきまとう。
だけど、引き継ぐことが歴史と人間の本質である以上、治すことも払うこともできない。
じゃあ、どうすればいいのか。
傷の輪郭を、深さを、かたちを知るしかない。
傷を知れば、痛みへの予防と対処ができる。
それこそが「癒やす」作業だと思っている。

風はいつか雨になるし、親は子どもに傷を託す ー 村上春樹「猫を棄てる」を読んで 岸田 奈美さんのnoteより引用

そもそも自分が親から引き継いだ傷はなんだろうか。過去を少し振り返る。

僕は子供の頃、親に褒められた記憶がない。中学の時に学力テストで学年1位をとったことがある。その時も褒められなかった。先生は「お前、1位だったぞ!すごいな。」と言ってくれたが、僕は「はあ、そうですか。」と完全に他人事で先生も少し驚いていた。僕はこの瞬間に自分が天才でないことに気づいてしまった。

なぜかと言うと、テスト前になると母親から15分刻みでスケジュールを管理され、一日中勉強させられていたからだ。ゲームも禁止、友達とも遊べず、嫌で嫌で仕方がなかった。誰もが僕と同じ時間勉強すれば1位を目指せるし、勉強が好きな人は僕よりも少ない時間でできるのだろう。もちろん、親となった今はここまでの時間と労力をかけてもらったことに感謝している。それでも当時の僕には地獄のように思えた。「期待」という傷だろうか。もしくは僕の両親も同様に祖父母から受け継がれてきた傷の影響なのだろうか。

僕は子供達にはこの傷をつけたくなくて、なるべくたくさん褒めてあげようと決めていた。何が書いてるか分からない絵も「すごい!よく書けてるなあ」と大げさに褒めた。仮面ライダーの主題歌もたくさん間違っていたけど「よく歌えているね、上手だね」と褒めた。褒めまくった結果、どうなったか?

めちゃくちゃお調子者の出来上がりだ。子育てムズっ!!

それでも思うのは、子供が得意になることって、幼少期にたくさん褒めてあげたことなんじゃないのかなと。お絵かきを自主的にやるようになったし、歌は覚えが早い。子供は、親の笑顔が見たくて頑張るのかもしれない。

あと何回、君のドラゴンクローをくらうことができるだろうか。

君の成長記録は、月に1度という定点観測的にしか知ることができない。来月君に会う時、僕にドラゴンクローを仕掛けるだろうか。きっと、違う技名になっていたり、もう別のものに興味を持っている気がしている。僕はあと何回、君のドラゴンクローをくらうことができるだろうか。

僕は君のドラゴンクローをもっとくらいたかった。いや、くらう義務がおそらくあった。悪者として大げさに倒れ、君をヒーローにしてあげる義務が。行き場のなくなったドラゴンクローは、そのまま君の心に傷をつけるのだろう。君が当たり前のように教授できた父性も与えられないままに。

君たちがこれから辿る困難は容易に想像できる。下手したらイジメにもあうかもしれない。「どうして僕は生まれてきたんだろう」と思って欲しくなかった。「僕のせいでパパとママはケンカしている」とも。パパとママはケンカばかりしていたけど、君たちのことはどちらも愛していた。君たちのことを嫌いだった訳では決してないし、ましてや君たちのせいでは絶対にない。許してくれとは言わないが、君たちは愛されて生まれてきたということはこれからも伝えていきたい。

働きながら、子供を育てる。とてつもなく大変な日常を一緒に過ごさずに、都合の良いところだけを切り取って何を言っているんだと叱責されるだろう。それでも、子供の成長を、変わり続ける様子を見られることは羨ましい。傷の輪郭を知るために、今の気持ちを文章に記した。ただの自己満足なのかもしれないが、今記しておく必要がある気もした。

僕は子育ての若輩者だし、偉そうなことは何も言えないけれど、子育てにおいてこれだけは間違いない。それは、どんなに辛い状況でも、親が笑えば子供はつられて笑うということだ。

子供達と離れて過ごす初めての夏休み。終わらない夏休みの宿題を、僕はこれから人生を賭けて取り組み続ける。僕は君たちが元気に笑う姿が見たい。これからもくだらないことで、パパと一緒に笑おうな。

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