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「イエスは神の子ではない:聖書の虚構と真性マゾ」

バベルの塔についての疑問。

はるか昔、人間が使っていた言語は一つだけだった。しかし人間がバベルの塔を建てたことで神の怒りを買い、神はバベルの塔を破壊し言語を様々に分裂させて人間同士の意志疎通を著しく困難にさせた。古代メソポタミアのジッグラトがバベルの塔のモデルと言われている。

さて、キリスト教原理主義者は、聖書を文字通りの意味で解釈していて、バベルの塔の話が実話に基づいているのだと主張する。もし仮に創世記の物語が本当に実話だったとすると、ネアンデルタール人もバベルの塔以前の人々と同じ言語を話していたのか?縄文人やアボリジニーはバベルの塔を造った人々の末裔なのか?そうした様々な疑問がわいてくる。


人がエデンの園を追い出されてからバベルの塔が破壊されるまで、人は皆が同じ言葉で話していたと創世記には書いてある。

エデンの園は楽園だったのだとか。この世の極楽だったのだとか。

だが、エデンの園は本当に素晴らしい場所だったのか?トイレはないし野糞するしかなかっただろうに。

あるクリスチャンが言っていた。

「ハルマゲドンは近い。最後の審判が終われば、その後は地上に楽園がおとずれる。真のクリスチャンだけが最後の審判を経てそこにたどり着ける」

そこってホントに楽園?神の王国とも言うが、そこはアダムとエバがいたあのエデンの園に似ているのだとか。

ルターもカルヴァンも歴代の教皇も聖人も、イエスもムハンマドもホメイニも、ウォシュレットを知らずに死んでいった。

神の王国ってホントにエデンの園に似ているのか?ホントにそれって楽園なのか?どこかのセレブの家の方がずっとマシだろう。クリスチャンはお外での用足しが大好きな人の集まりなのか。裸足でフン付けるのも厭わない輩たちなのだろうか。それともそんなことには無頓着になれるくらいに達観しているとか、純粋無垢でピュアでイノセントで、そうした信条の持ち主こそが真に尊い人物であり、楽園に行く資格があるという解釈なのか?

アダムとエバは禁断の木の実を食べた後で、羞恥心から自分たちの性器を葉っぱで隠したという。ならば裸族やヌーディストこそが最後の審判を経て救われるのか?


純粋無垢な幼子や障害者が天国に行けるならば、それはそれで童話の世界の延長のようで何処となく平和的にも聞こえるが、実際はとても危険な発想だ。ナチスドイツはユダヤ人以外にも多くの障害者をジェノサイドしているし、インドでは子供がトランスジェンダーだったりすると親や親戚に殺されたりもする。日本では飢饉の時に口減らしの為に多くの子供が親に川で溺死させられた。そんな時に親はこう言ったものだった。「あの世で河童になって幸せに暮らしなさい」と。殺したり殺されたりしても、幼子でも障害者でも皆が仏様になって極楽に行くことが出来てしまう。天国を安易に持ち出せば、逆に地獄のような残虐な行為も正当化出来てしまうのではないか。人類の歴史とはそうした理不尽極まりない事の繰り返しであり、いくら残酷な所業を犯しても何度でも直ぐに無かったことにされてしまう。

江戸時代には、飢饉の時に間引きがしばしば行われ、人肉を食べて飢えをしのいだ人もいた。飢えに耐え切れず、死んだ女房子供を塩漬けにして食った者に罪はあるのだろうか?地獄に堕ちただろうか?

太平洋の孤島で餓死寸前になり、仲間の兵隊の人肉を食って命を繋ぎようやく帰国出来た旧日本軍兵士に、罪はあるのだろうか?その人はもしかしたらあなたの曽祖父なのかもしれない。人肉を食わなければあなたはこの世に生まれていなかったのかも知れない。

人はパンのみにて生きるに非ず。だが神の言葉のみにて生きられると聖書に書いてあるのか?

人類の歴史は飢えの連続で、ネアンデルタール人も共食いをしていたと言う。共食いしていなければ人類はとっくの昔に絶滅していたのかもしれない。絶滅していれば魂も生まれ変わりも地獄も天国もなかった。

宗教とは現実を直視することを回避する為の装置のようなもので、自分自身の愚かさや世界の愚かさを直視することを回避させ、そのことで人は一時の心理的救済を得ることが出来る。現実を過度に直視すれば不安感や危機感が増大し、思考が硬直化し判断力や行動力が低下し、精神的にも不安定になり、生命の存続が危ぶまれる事態を招くことも予想される。現実直視を回避することで、脳に次の行動を促す信号を発信し、危機的状況からの脱出を働き掛ける。

神とは脳がもたらしたそうした心理的な危機回避能力の一つなのかもしれない。脳がもつ様々な働きや機能のうちの一つ。


そもそもイエスは神の子ではないし、神の言葉が記された書物が聖書というわけでもない。人間は神が土を捏ねて造ったものではないし、アダムもエバも存在しなかった。カインもノアもアブラハムもモーセもダビデもソロモンも架空の人物だ。聖書は虚構が織り交ぜられた創作物であり史実そのものではない。いわゆるオカルト本だ。そのような書物の教えを信奉していた時点でイエスは神の子ではない。預言者でも救世主でもなく、ペテン師か妄想に捕らわれた狂人か真性マゾに過ぎない。

コーランにはモーセやイエスを偉大な預言者として記してあるから、ムハンマドも預言者ではない。

信者には自分たちが詐欺の片棒を担いでいることに早く気付いてもらいたいが、彼らはそのことから目を背ける。自分の考え方や行動を変えることは、何かが自分から失われるようで恐ろしいことと感じられるからだろう。

彼らは科学の成果と実績を愚弄し、社会の発展を阻害し、生活の安寧と秩序を脅かしている。しかし、どんなに非難されようとも、彼らは自分たちが選ばれし民で神による試練を受けているだとか、ハルマゲドンが近付いている兆しなのだとか言い張り、その盲信を続けることに懲りることなどなく、なかなか捨て去ろうとはしない。周りからの厳しい非難の声は、マゾ集団にとっては試練というよりかえって喜びなのだ。

この国には信仰の自由も棄教を勧める自由もある。他人を呪う自由もある。しかし信仰を強要する自由は決して許されるべきものではない。洗脳やマインド・コントロールや虐待などで信仰を強要するなど以ての外だ。早く棄教して欲しい。

信者の考え方はまさに砂上の楼閣で、彼らは自分たちが毒麦であることが理解できていない。外見は礼儀正しく温厚でピュアでイノセントな人柄のように見えたとしても、実際の中身はゲスでグロテスクなだけだ。オカルトマニアの中二病につける薬なし。

「物や道具は目的や意図があって人間によって作られる。したがって人間も目的や意図があって神によって作られている」などと彼らは言う。しかし子供が海辺で砂の城をこしらえて遊ぶ時、そこに目的や意図などない。彼らの思考や存在はまるで子供がこしらえた砂の城のように脆く儚い。波に消されていく。


我は汝らの顔に糞を、汝らの祭りの糞を振り撒く。【マラキ2.3】

雀に逃げ去る理由があり、燕に飛んで来る理由があるように、呪いも真の理由なくしてはやって来ない。【箴言26.2】

火矢を射て人を死に至らしめる気の狂った者は、仲間を騙して「面白かったではないか」と言う者のようだ。【箴言26.18~19】

汝のハゲを広くして鷲のようにせよ。【ミカ1.16】

死に行く者は死ぬがいい。消し去られる者は消し去られるがいい。後に残された者は自分の友の死体を貪り食え。【ゼカリヤ11.9】

笑っていても心が痛むことがある。歓びは悲嘆をもって終わりとなる。【箴言14.13】

昔の方がマシだったのは何故なのか、と言ってはならない。汝がそれを言うのは知恵によるのではないからである。【伝道の書7.10】

汝の目が汝を躓かせているのならば、それをえぐり出して捨て去るが良い。【マタイ18.9】

ねじくれた者は神にとって忌むべき者である。神は廉直な者と共にある。【箴言3.32】

驕る者を神は嘲笑う。【箴言3.34】

愚鈍な者は不名誉を高めている。【箴言3.35】

邪悪な者たちの進む道は暗闇の道のようであり、彼らは自分が何に躓いているのか分からない。【箴言4.19】

愚鈍な者は手を束ねて自分の身の肉を食べている。【伝道の書4.5】

「良い種をまく者は、人の子である。畑は世界である。良い種と言うのは御国の子たちで、毒麦は悪い者の子たちである。それをまいた敵は悪魔である。収穫とは世の終りのことで、刈る者は使者たちである。だから、毒麦が集められて火で焼かれるように、世の終わりの時にもそのようになるであろう。人の子はその使者たちを遣わし、躓きとなる者と不法を行う者とを悉く御国から集めて、炉の火に投げ入れさせるであろう。そこで人々は泣き叫び、歯がみをしたりするであろう。その時、義人たちは彼らの父の御国で、太陽のように輝きわたるであろう。耳のある者は聞くがよい。【マタイの福音書13】

イエスは言われた。「父の王国は良い種を持つ人のようだ。夜に敵がやってきて良い種のあいだに雑草の種をまいた。彼は人々に雑草を引き抜くことを許さなかった。彼は人々にこう言った。「あなた方が雑草を引き抜きに行って、雑草と共に小麦をも一緒に引き抜いてしまう恐れがあるからだ」。収穫の日には雑草は明らかに目に見えるのであるから、それらは引き抜かれ、焼かれるだろう。【トマスの福音書】

犬は自分の吐いたものに戻り、豚は洗ってもまた泥の中で転げ回る。【ペテロ第二】


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