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根性論

根性は大切だと思う。
ただし、他人にやらされて身につくのは根性ではなく服従心だけだと思う。

私は根性を特に否定しません。
根性があれば困難を乗り越える可能性は増えると思います。

しかし、根性を鍛えるのは自分自身でのみ可能だと思っています。
たとえどんなに辛く苦しい事を乗り越えたとしても、
他人にやらされた事であれば、身につくのは根性ではなく、
他人に言われたことをやり抜く服従心です。決して根性ではありません。

自ら考え、辛く苦しくても逃げず、誰から言われた訳でも無いのに、
途中で止めても誰にも気付かれないのに最後までやり抜く事が根性です。

それでは、どうすれば根性を身につける事ができるのでしょうか。
根性を身につけるためには、思考と成功体験が大切です。

思考とは、困難の先に目的(ターゲット)がある事が理解できているかということです。
闇雲に困難に向かうのは、ただのドMです。
冷静に考えて、目的を達成するために困難を乗り越える必要があると分析するのが一歩目です。

目的に対して困難があまりにも大きければ、諦めるでしょう。
また、困難を乗り越えても、目的を達成できるか分からなければ、
実践しないという選択肢もあります。

どちらが正解という話ではありません。
考えて選択する必要があるという話です。
これが思考です。

次に大切なのは成功体験です。

人間は感情に左右される生き物です。
思考し耐え抜くことが正しいと分かっていても、途中で投げ出し、
逃げたくなる瞬間がやってきます。
困難に直面している時には、冷静に考える余裕も無いでしょう。

そんな時に心の支えとなるのが成功体験の積み重ねです。

これまでも困難を乗り越え、目的を達成してきたという成功体験が、
自分自身を奮い立たせ、逃げようとする自分を抑え込むことができます。

他人にやらされる根性強化にはこの2つが欠落しています。
なんのための練習か分からず、ただ根性だと喚かれる。
目的が不明瞭なので、何を持って成功かも分からない。
根性が目的だとしても、困難を乗り越えれば本当に根性が身につくか不明。
根性が身についたか判定できず、成功体験にはならない。
あるのは理不尽にきつい練習をやり遂げたというふわっとした達成感だけ。
そして只々、肉体的、精神的に疲弊する。
思考を停止し、服従する心だけが着実に育っていきます。

根性論が好きな指導者の多くは、根性論を分析せず、
どうすれば根性が身につくかよく考えもせず、
漫画レベルの指導や自分が実践したことのある指導しかできません。

根性を神格化しているくせに、手っ取り早く安易な方法で根性を身に着けさせようとします。

走り込みをさせて根性が身につくなんて簡単なことなら、
誰も苦労しません。
陸上部全員が根性の塊で、何事からも逃げないのでしょうか?
そんな訳ないでしょう。
左右に走らせれば根性が身につくなら、
バドミントン部、テニス部、バスケット部が根性No.1ですか?
そんな単純な訳ないでしょう。

そんなに簡単に根性が身に付くなら、
義務教育の必修科目に根性を加えて国民全員が根性を身につけるべきです。

実際には、根性を身に着けさせようとしてやっている指導のほとんどが、
効率の悪い体力強化練習です。
体力強化も大事なことですが、
体力強化なら体力強化を目的として、より良い方法を選択すべきです。
もっと肉体的に追い込む必要や頻度を多くする必要があるかもしれません。
ただし、精神的に負担をかける意味はありません。

そもそも、根性論が好きな人に限って、根性とは何か、
どうすれば根性が身につくのかを考える事から逃げているんですよね。
考え抜くのはとても根性が必要です。
今までの自分の間違った根性論を振り返り、考えるのは辛いでしょう。
その辛さを乗り越えて、考え抜く事こそが根性です。

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