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⚾️選手をあたたかく見守る。

試合は、選手を見守る時間。

そんなふうに思って、いつも大学野球を見ています。



頑張っているのだから報われてほしい。
いつもの練習の成果がでますように。

そんなことを願いながら、試合を眺めています。



野球のルールが少しわかるだけで、技術とか原理とか、難しいことはよくわかりません。

スライダーの投げ方も説明できないし、バッティング一つとってもなにも教えられません。


でも、結局のところ野球って『人』がやるものです。


その人の生き様や考え、人間味あふれるところに共鳴しているのだと思います。一生懸命な姿、努力を続けること、自分の人生に置き換えて考えることができます。

野球を通して学び、自分の生き方に反映しているともいえます。


―――


私は『愛をもって選手を見守る』というポリシーをもっています。愛なんていうと大袈裟で恥ずかしいですが、真心をもって応援するといった方がわかりやすいでしょうか。

そのポリシーを守る上で、気を付けていることがいくつかあります。

① 選手との距離を誤らない(近寄りすぎない)。
② 真心をもって選手と接する。
③ 余計なことをいわない。
④ 知った気にならない。
⑤ 踏み込みすぎない。
⑥ プラスでモノをみる。

選手の素敵な取り組みや行いにフォーカスをあて、基本的にネガティブなこと(根拠のない内容)は書きません。なぜなら、素晴らしい選手の応援に時間を割きたいと考えているからです。

最も気を付けているのは、選手との距離感です。接し方には細心の注意を払っています。

選手は大人(ここでは成人、社会人という意味)である私に、物凄く気を遣って接してくれています。そのことを忘れてはいけません。私が気分よく過ごせるのは、彼らの思いやりがあってこそなのです。

それを理解しているからこそ、彼らに踏み込みすぎない。必要なときに声をかけ、余計なことはいわない。ただ、見守る。

一回から九回まで、何が起こるか分かりません。選手の努力が報われたらいい。そんなふうに思い、試合を見つめます。

気になる選手には声をかけたりもします。書いた通り、踏み込みすぎないように。プライベートだなんだではなく「最近調子はどう」と、あくまで野球のこと。たまに、他愛のない会話が続くこともありますが、その場でおわりです。後腐れなく、これくらいがちょうどいいのです。


私は大学野球にたくさんの力をもらっています。


夢を叶えたくて、目標を達成したくて、いつの間にか10年以上の月日が流れてしまいました。何人の選手に出会ってきたかわかりません。

たくさんの選手を見てきたらこそ、思うことはたくさんあります。どの選手も、様々な事情(背景)があって、グラウンドに立っています。

プレーや勝敗云々以上に、野球は、その人の生き様を感じることができます。選手から学んだことは数えきれません。

時々、一生懸命頑張ったって無駄だと大人げなく思うことがあります。皆さんも何度もこの壁にぶち当たったでしょう。

評価されなければ意味がない。その姿をみてくれる人がいなければ、やっていることは無駄になってしまう。それならばやめてしまいたい。幾度となく思いました。

でも、そのときに助けてくれるのは野球です。


苦しんでいた選手が活躍をしたとき、続けていたからこそ結果を残せた。という、当たり前のことに気が付きます。やれ無駄だの意味がないだと嘆いても、続けなければ先はありません。

分野は違えど自分も苦しんだ経験がある。だからこそ、目の前で頑張っている選手が報われてほしい。その一心です。

余計なことはいわない。これからもそのちょうどいい距離感で、選手の活躍を見守りたいと思います。




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