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今、少年野球は大人の趣味である(2)

 少年野球とは「野球が好きな大人が子どもを使って野球を楽しむ場」だ。

 この言葉にカチンと来る人は、そうならないように日々自分を律している意識の高い人か、図星で反論できない人かのどちらかだろう。
 監督、コーチ、顧問、審判、大会本部役員、保護者など・・・立場は違えど少年野球に関わる大人の多くは「自分の楽しみ」があってこそ、その活動に協力する。

 もちろん個人差が大きく、心から子どもたちを応援したいと携わっている人もいるだろう。ただ以下のような傾向は明らかだ。
 
 まずチーム関係者は自分のチームが勝つことが喜びである。
 保護者は当然、わが子が試合に出て活躍することが喜びだ。
 そして審判や大会運営者は、そのコミュニティで居心地の良い自分の居場所をつくり、それを維持することが喜びだろう。 

 もちろん、それぞれの大人ががそれぞれの立場で少年野球を楽しむのは自由だ。しかし、それがエスカレートして自分の楽しみが最優先となり、それを奪われたくない、守りたい、さらには他人からの承認や賞賛を得たいという欲求も加わってくると、互いに相容れない状況が生まれてくる。そして大人同士で幼稚な揉めごとを始めるようになる。
 そうしているうちに一番大切な子どもの存在と、「子どもの教育」という観点がすっぽりと抜け落ちてしまうのだ。

 少年野球の監督やコーチに「あなたは教育者ですか?」と聞いたらなんと答えるだろうか。
 これは推測だが、彼らの多くは「教育」を特別なものと思っていて、自分たちはボランティアで野球を教えているだけだから「教育」なんて高尚なものを持ち出されても困ると考えているだろう。

 しかし、毎週土日、一日6~7時間、それを何年にもわたって子どもと関わる活動を「教育」と切り離して語ることはできない。
 練習や試合の場で、または家庭で大人がどんな声をかけるか、何を大事にして、何を褒め、何を叱り、どんな目標を掲げるか・・・それが「教育」でなくて何なのか。
 
 少年野球という活動は大人の指示に従ってプレーをし、褒められたり叱られたりする活動である。子どもたちは大人の指示を絶対的に正しいと思って従っているしそう教え込まれる。
 しかし実際の大人は自分の楽しみばかり追求し、感情だけで動き、言うことに一貫性が無く、間違っても謝らず、都合の良い人をひいきし、自分の居場所を守るために必死で、口ばかりで責任を取る気はなく、大きなお腹をゆすってたばこをくわえながら下品に他のチームの悪口を言っている人間だとなったら子どもたちはどうすれば良いのか。
 
 少年野球に関わる大人たちは、自分が望むと望まざると子どもの教育に関わっているのだという自覚を持たねばならない。立派な人間である必要はないが、理性的な大人の振る舞いを心がけなければならない。それはボランティアだろうが仕事だろうが関係ない。子どもと関わるということはそういうことなのだ。子どもを従わせるということはそういう責任を負っているということなのだ。「俺を反面教師にしてくれ」とごまかして逃げるような人には務まらない。「そんなに気負ったら楽しくもなんともない」と思うなら今すぐお辞めいただくのが一番だ。
 
 最後に、ある小学生向けのサッカー教室でコーチが必ず言う言葉をご紹介する。

「カッコ良いサッカー選手になる前に、人としてカッコ良くないとだめだ」

 これを言える人が子どもを指導することが出来る。

 

 
 

 

 
 

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