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許さなくていいんだよ 〜カサンドラ症候群から抜け出した私の今〜

若い頃の私はどちらかと言えばワガママで、感情が表に出ず、冷酷な若者だった。

そんな私が、発達障害疑い(確定診断を待たず別れた)の男と何年も付き合った結果、長年の我慢と変容を強いられ、気づいた頃には私はすっかり気が滅入ってしまっていた。

これを「カサンドラ症候群」と言うらしく、私は自分の意見に自信が持てない、はっきり言えない、自己肯定感なんてまるで無い人間になっていた。

ADHDがいけないだとか自閉症は厄介だとか言うつもりは今でも無く、身近にいる発達障害持ちの人には、あの日々で得た知識をもって「それも個性だよ、大丈夫だよ」と程よい距離感で接することができている。
ただ、過去の私は「彼には彼の言い分がある」「私がいけないんだ」「彼の意見を、価値観を尊重しないと」と、何とか彼を理解することに躍起になってしまい、私自身が幸せに暮らしたい、という願いの本質を手放してしまっていた

彼のために理解を、彼のために共感を、これじゃ彼が救われない、彼のために、彼のために…と手段ばかりにこだわって、「私が幸せでありたい」という目的はいつのまにか抜け殻になってしまった。
その結果、彼の言うことは受け入れ、反対できず、自分を殺して生きる日々が続き、ついには彼を愛する気持ちさえ失った。
こう書かれた文章を読めば、健全な人なら「そんなダメ男と付き合うお前も悪い、意志が弱い」と思うことだろう。
そう、確かにその通りなのだ。
だが、これはハッキリ言わせてほしい。

愛した人に寄り添いたいがための気持ちまで、あの日の私の愛情まで、他人に否定される筋合いはない、と。

振り切ってからが本当のスタート

彼についに嫌気が差し、たまりに溜まっていたストレスが爆発したのは冬のある日。
ギリギリまで「許そうよ」「またいつもみたいに「そう」って言ってあげなきゃ」と悩んでいた私がいたのを、今でも鮮明に覚えている。

彼は共感や思いやりの気持ちがどこまでも無い人間で、大勢と居たがる割に大勢とは仲良くやれず、冗談はとことん通じない、一方的にキレる、飲み会ではしばらくすると一人飲み屋の玄関でスマホをポチポチしていたりするような、典型的な「イタい奴」だった。
私は最初こそ、彼はちょっと根暗なだけ、と思い込んでいたが、付き合いが進むにつれて常日頃からゲーム機にかじりつき、目を見て会話…なんてほとんど無く、スマホを見ながら犬食い、大した理由もなく仕事を休み、会社が条件面を見直してくれたにも関わらず仕事を辞め、私の家族が紹介してくれた会社の偉い人に向かって私を悪く言う(誰に何を言ってはならないか判断ができない)など、到底私には容認できない人間性が目立つようになった。

何度も別れ話をするものの、彼は「捨てられる!」という事実だけが悲しいようで、大泣きして私にすがりついては「これから気を付ける」と約束し、そして繰り返していた。

そしてその度に、私は許してしまっていた。

いや、「許さなければ」と思い込んでいた。

別れるなんて考えられない、と目の前で床に突っ伏してわんわん泣く相手を見て、可哀想になってしまったと同時に、私はなんてひどい事をしているんだろう…という自責の念に駆られていたのだ。

そうやって許してはまた問題が表面化し、悩んで悩んで、こらえ、我慢し、やんわり伝え、その度にまともに取り合ってもらえず絶望していた。
もちろん「別れる」というキーワードを出せば彼は飛び付いてきたのだろうが、それは脅しのようで嫌だった。

だが、そうやって「別れるなんて脅しみたい」と自分に言い聞かせることで、私は「別れたい」という本音を心の奥底に封じ込めてしまったのだった。

彼は指摘をすれば開き直り、「じゃあ俺が○○すればいいんだろ!そのせいで俺が△△になってもいいんだな」と私に罪を被せてきた。
例えば、ゲームを控えてお出かけに時間を使ってほしいと言えば「俺がゲーム辞めて全部アンインストールすればいいんだな!」という風に。

彼の中で、自分が自分を律しながら上手く他人と折り合いをつけるという考えは頭になかったのだろう。

その度に、「やめてほしいんじゃなくて…」と言葉に詰まる私に、彼は「俺がゲーム辞めて友達を失えばいいんだろう。俺から唯一の息抜きを奪えば俺が仕事のストレスで鬱になるのは分かっているはずなのに、お前はなんて酷いやつなんだ」と畳み掛けてきた。

こんな調子で、私はどんどん生きる気力を失っていった。
自発的に意見を持つこと、述べることを恐れるようになり、自分の心をだまくらかすのがデフォルトになっていった。

そんな生活が何年も過ぎ、ある日ついに私は我慢の限界に達した。
堰を切ったように突き放し、彼には一切話し合いの余地を与えず、別れに至った。

これを読んでいる人の中には、今まさに悩んでいる人、苦しんでいる人がいると思う。

私は彼が発達障害かも、アスペルガーかも…と思い始めてからすら、「もし病気だとしたら、彼の病気を理由に別れるなんて酷い女だ。交通事故に遭って松葉杖をついた恋人に別れを告げるのと同じなのでは」などと自分を責めてしまっていた。

関係を保てないほど我慢できないことがあっても、「ゲームだって趣味じゃん、フェスや旅行で有給使う人は良くてゲーム発売日の有給はイヤとか彼が可哀想。悪いのは私!」みたいなのが自分の中にあった。

でも。

今は、それって「いちごジャムだって調味料じゃん!目玉焼きに醤油や塩は良くて、いちごジャムをかけられたらイヤだなんて彼が可哀想。悪いのは私!」と思うのと同じくらい、支離滅裂で、主体性がない考え方だったんだな、と思う。

そう、イヤな物はイヤ。

悲しいものは悲しい。

それで良いのだ。許さなくて良いのだ。

なぜなら、あなたは、私は、目玉焼きにいちごジャムはかけないから。
「私は」嫌だ、「私は」許せないと、ハッキリ思おう。伝えられなくても、あなたの中で、「私は」NOだと唱えていこう。

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