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うちゅうじんと話したい

突然の不思議ちゃんぶちかましタイトル。

どうした私?

…と言いたいところだけど、実はこのnoteには真面目な意図がある。
そろそろ私はもう一段階自己開示を深めてもいいかな~なんて
最近思い始めたのがきっかけ。

今回はいつも以上に頭を使わず書き上げる。
そのほうがよりリアルな私の言葉が綴れるから。

すでに宇宙人モード全開な姿を一部の仲間には見せてきたから
その仲間たちからしたらかなりうっすい自己開示かもしれないね。笑



「うちゅうじん」とは?

もちろん、SF映画に出てくるような感じの宇宙人ではない。

このnote内だけで定義しておくと
「他人と異なる要素を自覚しながら、誰にも打ち明けられない人」かな。
(もしかすると人間みんな該当するんじゃないか?とも思うけどね~)

なぜか?

私もそうだから。
厳密に言えばすでに私にはこのテーマを話せる友人がそこそこいるけど、たぶんもっともっと仲間がいる気がしているから。

「こんなこと人に話したらドン引きされる」

と思っていることほど私は聴いてみたい。
私の知らない世界に強烈な好奇心を持っているから。
私の知らない世界を魅せてくれる人に、私はワクワクする。
(特に、愛たっぷりにその世界を語れる人)

この世界は未知でいっぱいで、私は世界のことをほとんど知らない。
だから大抵何を聴いてもうれしいしたのしい。
お互い違う人間でありながら、時々共通点が見つかるのもまたうれしい。


いままでの「私」について

10代はわりとずっと根暗だった。
20代前半は気が強く、正義感に溢れていた。慎重でもあった。
20代後半は徐々に丸くなり、穏やかになった。
30代は向上心強く、急発進と急ブレーキを繰り返しながら生き、今に至る。

ずっと自己探究が好きで、対人支援(コーチング)の仕事を始めたことや
母親が子どもに与える影響を気にし始めたことが重なり
猛烈な勢いで自分を変えるために内省と行動を繰り返してきた。

自分でネクストアクションを設定し、
自分で自分のケツを叩いて行動し、
仮説に対する検証を行う。そのサイクルの繰り返し。

周囲が心配するくらいの勢いで突き進んだ結果、精神性が日々開発され、
ある日突然、今まで見てきた世界がひっくり返った。

そしてこれが、私の中にいる「うちゅうじん」との遭遇だった。
今年1月ごろの出来事。


常に変わり続ける内面

私を良く知る人たちなら違和感ないだろうけど、私は水のような、常に流動的な存在だった。相手によって引き出される顔も違うから、人によって私へ抱く印象は異なる。でもどれも確かに私。

人間には光と影、どっちの側面も存在する。
私の中にも両極の姿がある。

だから私は自分で自分をどんな人間かうまく説明できない。

ただ、コーチングで訓練してきたから、どの顔を表出させるかは選択することができる。その中で、ここ3か月は社会で生きていくために、社会で馴染むのに必要な「まともな顔」を必死に探し続けた。

でも実際は「まともな顔」なんてものは定義がない。
所属する社会(=集団や相手)によって「常識」や「ルール」は変化していく。その社会に合わせて「見せる顔」を設定し、振る舞いを微妙に変えていくしかなかった。1~3月で嫌と言うほど失敗し、傷つき、疲れていた私は、もう傷つきたくなかったから。

そうして社会に馴染む顔の選択がようやく慣れてきたと思ったら、
次は「素で生きろ」とサインを受け取るようになった。

サイン?なにそれ?
と思った方向けに補足すると、サインは私の「直感」で受け取る、感覚的なメッセージ。

ちょっ‐かん〔チヨク‐〕【直感】
[名](スル)推理考察などによるのでなく、感覚によって物事をとらえること。「直感が働く」「将来結ばれる運命であることを直感した」

[類語]思う覚さとる感じ取る実感感得感受感知直覚ぴんと来る予感第六感虫の知らせ印象感ずる感じ心象感銘感触心証イメージインプレッション第一印象目聡い鋭敏機敏俊敏明敏賢い鋭い聡さとい賢しい過敏敏感炯眼けいがん利口利発聡明怜悧れいり慧敏穎悟えいご英明賢明犀利さいりシャープ耳聡い耳が早い早耳地獄耳目が早い先見の明予覚飛耳長目気が利く嗅ぐ嗅ぎ付ける嗅ぎ出す嗅ぎ当てる嗅ぎ取る嗅ぎ分ける虫が知らせるひらめき察知インスピレーションぴんと鼻が利く気が付く

引用:デジタル大辞泉

私は元々勘のいいほうだったと思う。
それが、コーチングを学ぶ過程でさらに開発され、自己探究をゴリゴリ進めたことでより一層開発された。
(もっともっと開発できると思うから、日々コツコツ訓練中)

あらゆる物事に根拠や整合性を求め、占いとか全く信じないタイプだったのに、気づけばオラクルカードを愛用するまでになっていた。もう4箱も買っちゃったよね…。笑

そして日課のようにカードを引く中で、最近「素で生きろ」というメッセージを受け取るようになっていた。日々の生活で目や耳から入るサインもそう。


「素の私」って?

自分のことがわからないのに、何をもってして「素」と言えばいいのかわからなかった。正確には、わからないふりをしていた。

意思決定を直感に従って生きること。
(思考は補助程度)

それが今の私に求められる「素」だと薄々気づきつつ、思考を手放すのは怖くてわからないふりをしていた。

それに、直感だと信じたアクションが恐れからくる衝動や思考だった、なんてパターンもある。
スタートアップで失敗慣れしたはずの私も、未知の世界での失敗はいまだに怖い。
(これは人間の心の構造上たぶん仕方ないけど)

直感はときどきとんでもない提案を投げかけてくる。
直感が示す世界だけを見ていたら地に足がついていない状態になって
傍から見たら「異常」に見える振る舞いをしていた時期もある。

私の身に起きたことはそこまでオープンにしてこなかったから、
その姿を目撃したのはごく一部の人だけど…。
(それなのに一緒にいてくれる友達や夫、両親には感謝してる)

我に返ったとき、自分のことが怖くなった。
そのトラウマもあり、私は再び自己開示を控えるようになっていったのが先月ごろの話。

そうしてようやく落ち着いたと思ったら、
今度は「いい加減、素を曝そうぜ!!!」というメッセージ。
ちなみにこのメッセージの送り主は、「うちゅうじん」の「わたし」。

正確な正体が分からないから一旦そういうことにしておく。笑
でも「わたし」であることは確か。

現時点では「わたし」から「私」へオーダーが来て、
「私」がそれを受けるかどうか判断する流れで意思決定している。

ちなみに人によって違うかもしれないから
これはあくまで私のパターンとして認識して欲しい。


…という事情で、いまこのnoteを書いている。
これも「わたし」から「私」へオーダーが来て、「わたし」に書かせて「私」が推敲している。そんなイメージ。言葉にすると意味不明でしょ?笑

書く目的はタイトルにもあるように「うちゅうじんと話したい」から。

今年に入るまで、人生でこんな不思議な体験をするなんて思ってなかった。
いままで私が持っていた「常識」に当てはまらない、ぶっ飛んだ体験が日常的に起きている。いまや日常と非日常が逆転したかのような感覚。

だけど人間やめたわけじゃないから時々この不思議な世界に浸りすぎて孤独を感じることもある。
そこで私は、もっとこの体験を共有できる仲間が増えると人生のたのしさがアップするのでは?と考えた。いまはまだ誰にでも自分の体験を話そうという気分になれないから、オープンな場で開示できるのは現時点じゃこのくらいだけど。

でもここまで書いておけば、見る人が見ればおそらく伝わるはず。
ようやくこの程度なら人を選ばず開示する気になれた。


いまの私に見える世界

…の、話は一旦やめておこうかな。
それを開示すること自体はあまり躊躇いがないけど、その結果の未来が予測できていない。それに直感的にもいまはそこまで書く必要がない気がしている。

でも私は他人の目に世界がどう映っているのかにとても強い興味がある。
だから、いまの私と似た状況にいる人とぜひ体験シェア含む雑談がしたいな。ゆるい感じで。自己探究以外に好奇心を向けられる対象を探してもいるから、趣味の話や美味しいご飯の話とかでもうれしい。


私の知る世界と、他の人が知る世界。

同じものなのか、違うものなのか。

いま私はどこに立っていて、どこへ移動していくのか。

そもそもこの世界はどんな構造をしているのか。


このnoteを読んでピンと来た方は
ぜひぜひ私とフィクションとノンフィクションの狭間の話をしましょう。
一点だけお願いしたいのが「どんな不思議な体験でも笑いながら話せる方」のみとさせてください。

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「いま」私と話したいと思ってくれるところが重要💐
(会話の内容はオープンになるため、話せる内容は若干限定されます)

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クローズドに話したい方はXからコンタクト取っていただけたら幸いです。
ただしその場合は、念のため一度様子を見てからリアクション有無の判断をさせていただきます🙏
(よほど問題ないと思ってますが過去に別SNSで嫌な体験があったので、、)


必要な縁は自然に繋がれていくと信じて、ゆったりお待ちしています🪐

読んでいただきありがとうございます!! サポートをいただいた際は、コーチング技術向上のための書籍やセミナーに使用します。