僕の音楽の履歴書

20年。

20年の間
一人でクラシック音楽を愉しんでいた。

中学校で音楽の授業で必修なのか
A.ヴィヴァルディの四季とJ.Sバッハの小フーガを聴きますよね。

私一人泣いていました。
ヴィヴァルディの音楽の情熱、小フーガの音楽の巨大な建造物。

その圧巻に感情が動かされたのだと思う。
それからは他の人が今の音楽を聴く中で一人バッハの曲を集めまくった。

それからヘンデルを知り、テレマンを知り
星の数ほどいるバロック音楽家の中で、
歴史の中に埋もれてしまった偉大な作曲家たち。彼らを忘れてほしくなかった。

今の現代、音楽はいつでもなんでも聴ける。
クラシック愛好者には光の時代だ。
どんな無名な作曲家も次々と取り上げられる。

その中で僕は思想が生まれた。
彼等が築きあげてきたスピリットをいくらでも聴ける僕はすべてを吸収し創作しなければならない。と

しかし才能がなかった。
自信がなかった。
それで大学は音大にはいかなかった。

その選択のミスが僕の人生の大きな岐路を作った。
働いていても音楽のことしか考えられない。
同じ事務仕事でも芸術的な仕事をする人がいる。全てが美しくその中で僕は音に敏感だった。

だけど、神様はメロディをおろしてくれなかった。

苦しかった。
絶望した。
そして心の病を患う。

しかし、僕は自然の諸原理に基づく真理を音楽に求めた。

惨めな人生になった。
しかし願い続けた。
そうしたら神は私に創作することを赦してくれた。

無限にメロディが作れる。
ルネサンスからロマン後期位まで
どんな楽曲形式もどんな作曲家の様式も模倣し吸収することができるようになった。

彼らに賛美を送りたい。
歴史に名を遺した人物たちも言うはずだ。

「私が書いたのではない、自然の恵みを書き留めただけだ」と

ハイドンは曲を書き留めると毎度、神に感謝の念を送っていたと聞いている。

私にもそれがわかるようになった。
私は楽典を学んでいないのでまだまだこれからだが
私のストーリーはこれから始まる。

自我や承認欲求を満たしたいのではない。
降りてくる真理の果実を形に残したい。

どちらかといえば絶対音楽だろうか。
私はまだAnonymous。

しかし神は私を見守ってくれているかもしれない。

学ぶことはまだまだたくさんあるぞ!




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