泣いたら必ずそばに来てくれる
私は、おばあちゃんのことを想うと思わず涙が出そうになるくらい温かく愛をくれる記憶しか見つからない。
おばあちゃんはどんなことがあっても、私が逆に怒っていたとしても、いつだって私の100%味方でいてくれる存在だ。
例えば、母親に叱られてふてくされて声が枯れるほど泣き、泣きつかれた私のところにそっと寄り添い砂糖水を持ってきてくれた。「ほら、これ舐めれば落ち着くからペロッとしてみなさい」と言って、しょうゆ皿にいれた砂糖を溶かした水を私に舐めさせた。その時のわたしは、それがなにか分からなかったが、それを舐めることでトゲトゲして悲しい気持ちだったのが落ち着き穏やかな気持ちになったことを思い出す。天窓からの光と、おばあちゃんに抱きしめられたエプロンからの柔軟剤のいい香りを感じた。
今思えば、これはプラセボ効果でありホメオパシーの一種でもあったのだろう。
またある日は、リフォーム前のおばあちゃんの家で、私がはじめてお菓子作りに挑戦した日のこと。おばあちゃんの家にあずけられたときに、母親の部屋から料理本を見つけた。その料理本をみて、紅茶のシフォンケーキをどうしてもつくりたくなったわたしは、おばあちゃんの家にある材料で見様見真似で作ってみることにした。火加減もわからなかったので、中身がドロドロ外が焦げ焦げの紅茶のシフォンケーキが出来上がった。
もちろん、こんなもの食べられたものではないので「失敗だー!」と騒ぐ私を横目に、おばあちゃんは焦げの部分を避けながら半生のケーキを食べ「うん、ここを避ければ食べれるよ」と笑顔で食べてくれていた。料理は苦手だけど、あれから25年は経ってるし、もう一度ケーキをつくって、今度は美味しくてふわふわのケーキを食べてもらいたい。
それから、
それから、母が入院したときもそうだった。高校生の時、しばらくの間母が入院することになりおばあちゃんの家にあずけられた。私が美味しいといったスパムおにぎりも、オムライスもつくってくれた。帰るとお腹いっぱいになるご飯とお風呂が用意されていて、朝は私より早く起きてトーストを焼いてくれていた。宿題の時間には一人の時間を用意してくれ、寝る前に私の部屋の電気がついていると「早く寝なね」と優しい声をかけてくれていた。
車酔いする私にはりんごを持たせ、遠くをみてりんごの匂いをかいでいれば気持ち悪くなくなるよと教えてくれたり、お昼ごはんをお腹いっぱい食べすぎた日は家の周りの落ち葉を掃いているうちに「ほら、もうお腹苦しくなくなったでしょ」と教えてくれた。
生花をしていたおばあちゃんは、道に咲く花を全部教えてくれたし、ウクレレを習っていたおばあちゃんは、未だにコードを全部覚えていて私にウクレレを教えてくれたし、化粧箱を訪ねるたびに全部チェックし化粧をする私に、ひとつだけ化粧道具をくれたりもした。
最近でいうと、いまだに兄家族と甥っ子と一緒に私がおばあちゃんの家に行くと「あら〜、よく来たわね」と甥っ子にとともに私のこともちゃんと迎え入れてくれて、食べきれない量のお菓子とお小遣いをこっそり渡してくれる。
私にとっておばあちゃんは、いつだって味方でいてくれて、私を構成する要素の一つであるほどだとも感じる。
そんなおばあちゃんが、入院をした。
90歳になる前から、何度も入院したり薬を飲んだりしていたけど、今回の入院は寝たきりの時間が長くなる。
90歳で寝たきりになると、体力が低下するだろうし、筋力も低下するだろう。治ってもしっかり歩けるようになるかはわからない、と思ってしまう。
3週間前まで、いつも夜ご飯お寿司だから次に来てくれる時から変えようか?と相談していた矢先だった。
次ってなんだろう。
今日、入院しているおばあちゃんに電話をした。「なにもしなくても、ぜーんぶやってくれるから楽よ。」と言っていたけど、普段からアクティブに外出してフラダンスやウクレレ、そして英語も習い事もやっていたおばあちゃんにとったら退屈なんだろうと思う。
歳を重ねることは自然の摂理だと思うし、それによって体力や筋力、そして身体の変化が起こることは頭では理解しているが、目の当たりにするとやめてくれ、悪いことを考えたくないし、いままでの幸せを奪わないでくれと強く思う。
幸せの一つを奪わないでほしい。これからも、ずっと私のそばにおばあちゃんがいてくれる、そう思えるから毎日過ごせる日々を変えないでほしい。
月日の流れは残酷で、腹立たしくて、耐え難いなあ。
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