故郷はずっと故郷だった話
小学校、中学校が一緒で、高校は別で、大学でまた一緒になった友達がいる。
部活は別だったし、家も遠かったけど、なぜか小さい頃から仲が良くて、大学時代はよく一緒に飲みにいっていた。二人で朝までカラオケに行ったこともあった。
俺が大学を留年した年に、その友達は大学を辞めた。
実家に帰って家業の漁師を継ぐことにしたからだった。
それから毎年のように、牡蠣や帆立などの海の幸を送ってくれている。
もちろん心ばかりのお礼は返してはいるけれど、それでもこっちが申し訳なくなるくらいに送られてくる。いつも本当にありがとう。
一年前、その友達のお母さんが亡くなった。
それをうちの親から聞いて、すぐにLINEをした。
なんて声をかけたらいいのかわからなかったから、正直に「ごめん、なんて声かけたらいいのかわからないんだけど、大丈夫か?なんかあったらいつでも連絡しろよ」と送った。
きっと精神的にも辛いだろうし、葬儀の準備などで忙しいだろうから、返信は遅くなるだろうと思っていたら、すぐに返信が来て驚いた。
「まだ全然気持ちの整理がつかないけど、落ち着いたら連絡する。きっと弱音吐くからよろしくね笑」
絶対笑えてねぇだろ。と思った。
すぐにでも地元に帰って会いにきたかったし、葬儀にも出たかったけど叶わず、香典だけ送らせてもらった。
それから半年くらい経った頃、いつものように海の幸が送られてきた。
荷物が届く前日に、その友達から送り先を確認するための電話が来て、ちょっとだけ話せたけど、この時はまだ元気なふりをしている声だった。
その後もずっと気になっていて、ゆっくり話したいし、おばさんに線香もあげにいきたいなと思っている間に気がついたら半年以上経っていて、季節は夏になっていた。
仕事で地元の方へ行く用事があったから、会えるかなと思って電話したけどタイミングが合わず。
そうこうしているうちにまた冬が来て、年末にまた海の幸が届いた。
電話の声は前回よりも元気そうでちょっと安心した。
年が明けてつい先日、仕事で地元に帰る用事があったから連絡してみたら、家にいるというのでようやく会いに行くことができた。
あのLINEを送った日からちょうど一年だった。
一年もかかっちゃったけど、ようやく線香もあげられたし、友達ともゆっくり話せた。
仕事が忙しそうで、だいぶ疲れてるみたいだったけど、思ってたよりも元気そうで安心した。
リビングで二人で話していると、近所の方が線香をあげに来た。
「まだ信じられなくてね、メールも消せなくて残ってるの」と声を震わせていた。
お客さんが帰った後
「信じられないよな。俺だってまだ信じられないもん」と呟いたのが聞こえた。
昔話や、地元にいる友達の近況なんかも聞きつつ、これからの仕事の話や結婚の話、同窓会したいねなんて話もした。
最後にはまた海の幸をたくさんもらってしまったけど、楽しい時間を過ごせた。
久しぶりに地元に帰ってみると
町のあらゆるところに思い出が散りばめられていて
いく先々でいろんなことを思い出した。
あそこで花火してたなとか
あそこにそろばん教室があったなとか
あの交差点で車に轢かれそうになったなとか
ここの駐車場でフラれたなとか
いろんなことを思い出しながら
同時にいろんなことを考えていた。
最近は向き合わないといけないことが多すぎる。
考えないといけないことも多すぎる。
本当はもっとシンプルなはずなのに。
本当に大切なものなんてもっと少ないはずなのに。
そんなことを考えていると
自分の感情がぐちゃぐちゃになっていく感じがした。
興奮するわけでもなく、悲しいわけでもなく、怒りでもなく、すごく冷静に
いろんな感情が混ざり合って絡まり合っていく。
上川に帰る前に、海を見に行った。
流氷が来てるらしいと聞いたから。
でもまだ接岸はしてなかった。
遠くにうっすらと白い線のように見える流氷を眺めながら、冷たいオホーツクの空気を思いっきり吸い込んだ。
複雑に絡まっていた感情が解けていくように
なんかちょっとだけすっきりした。
いつか地元に帰りたいという気持ちは、今はほとんどないけれど
地元に帰りたいと思う人の気持ちはわかるなと思った。
やっぱり故郷はずっと故郷なんだ。
今はまだ両親も暮らしているし、大事な友達もいる。
自分が住んでいなくても、地元で暮らしている「自分にとって大切な人たち」のために、何かしたいという気持ちが確かにある。
30代も半ばに差し掛かるとこういう感情が芽生えてくるのか。
とりえず、同窓会したいから
幹事やるしかねぇな。
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