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【北方領土自由訪問2日目】「ついに上陸」

2018年夏。祖父の故郷「国後島」へ行ってきたときの記録です。

※今回ついに上陸します!

自国の島なのに、他国の生活がある

朝5時に朝食の準備が出来たことを知らせる放送が流れた。
朝食はししゃも2匹とご飯と味噌汁。納豆、生卵、味のり、塩辛、梅干しなど。あとヤクルトも。

朝食の後デッキに出ると、ロシアの船が周りに何隻もあった。
島が見えた。
島にはたくさんの建物があり、それは集落や村というより"町"だった。

沖から双眼鏡で島を見てみると、道路工事をしている様子や、車が走っている様子が見えた。

ぼんやりと浮かび上がる爺爺岳の影

入域手続き

朝食後は入域手続きのため7時から食堂は立ち入り禁止になった。

8時前くらいから入域手続きが始まった。食堂前の廊下に団員番号順に並ばされた。

食堂入り口前のエレベーターを中心に、コの字型に並び廊下を進んで行くと、迷彩服を着たロシア人の若い青年2人が立っていて、 事前に提出していた写真と見比べて本人確認をされる。たまたま僕は数日前に髪を切ったばかりだったので、一度止められて何度も写真の顔と見比べられたけど、無事通過した。

関係者たちがピリピリしているように感じて、少し緊張した。いくら自由訪問といっても、他国に占領されている自国の島に"入域"するのは、海外旅行のイミグレとは違う緊張感があった。

「人道支援のロシア人」が同じ船に乗っている

入域手続きが終わり、「人道支援」で乗っていたロシア人も下船していた。

実はこの船には、人道支援として北方領土在住のロシア人の患者が乗船していた。

北方四島住民支援政府は、領土問題解決の環境整備の一環として、北方四島からの患者の受入れ(2015年度はのべ20名)、北方四島医師・看護師等研修(2015年度は3名)等の、北方四島在住のロシア人にとって真に人道的に必要な支援を実施してきています。https://www.mofa.go.jp/mofaj/area/hoppo/shinten.html

その人道支援で乗船しているロシア人との交流はほぼない。ただ、そのロシア人も僕たちと同じ時間、同じ食堂で、同じ食事を取っていた。

船は古釜布を出て、上陸予定地のポンキナシリ沖へ向かった。

ついに上陸!と思いきや…

9時40分 ポンキナシリ沖着地
上陸に備えて団員全員が食堂に集まり待機した。

副団長の父と共に先見隊の第1班として上陸船「えとぴりかⅡ」に乗船した。

9時50分 オレンジ色の大きな救命胴衣を着用して、えとぴりかⅡに乗り移った。

島へ行くときはライフルを所持したロシア人ハンターが3名同行する。
気さくで優しい人たちだった。

母船(えとぴりか)から離れると、たくさんのアザラシが不思議そうにこちらを見ていた。アザラシたちは海面に顔を出したまま船を追いかけてきた。

岸まであと少しのところまできた。
しかし、「藻」や「瀬(岩)」が邪魔をしてこれ以上近づけないという。

無線で連絡を取り、一旦えとぴりか本船に戻ることになった。

目の前まで迫った国後島の地。
団長は上陸できずに残念そうな顔で島を見つめていた。

戻る際にも瀬や藻が邪魔をして容易には戻れなかった。

10時25分 えとぴりか本船に帰船。一旦食堂に戻った。
団長や関係者はブリッジで再度上陸に向けて打ち合わせをしている。
食堂では上陸を心待ちにしていた元島民と、その2世や3世、またはその家族が、テレビで流れる甲子園には目もくれず窓の外に見える島を見つめていた。

着陸地点の変更で祖父の故郷「サクマンベツ」へ

10時40分 2回目の偵察へ出発

ポンキナシリへの着岸を諦め、隣のサクマンベツへ着岸を試みることになった。訪問事業でのサクマンベツ上陸は初めてのことらしい。天気は良く、風も弱いが、潮が引いており、えとぴりかⅡではなかなか近づくのが難しいようだった。

11時00分 サクマンベツに無事上陸
トイレ用の簡易テント、休憩用のタープ、ブルーシートを敷いて、折りたたみの小さな祭壇を設置。

第2陣から第4陣までで、残りの全員をピストン輸送する。
全員が上陸するまでに40分くらいかかりそうだったので、サクマンベツの北端まで、ハンターや少数の団員で散策に向かった。

すぐにハンターのオーアさんがクマの足跡を見つけて教えてくれた。子グマ足跡で、だいたい200kgくらいだろうと言う。

大きなコンクリートの残骸があった。かつてこの地区には大きな缶詰工場があったらしい。これがその缶詰工場の跡地ではないかという話になった。

ところどころ砂浜に黒い場所があった。
黒い砂は砂鉄らしい。

11時40分 サクマ缶詰工場跡地を発見。
先に見つけていたコンクリートの残骸とは別の場所で、滝のすぐ側にコンクリートの残骸を発見した。おそらくこっちが缶詰工場跡地だろうとのこと。

慰霊祭

12時10分 第4陣上陸。慰霊祭の準備が始まった。「無事に上陸できてよかったですね」と声をかけると、「よかった!」と笑顔を見せた団長。

「ここ(サクマンベツ)の出身ではないから本当は関係ないんだけど、来年来られるかどうかわかんないから今回上陸できて本当によかった。お盆にこうして来れて、お参りできて、先祖もみんな喜んでるよ。」と元島民のおじいさんが言っていた。

元島民ではないから僕にはなんとなくしか理解できないけれど、自分が生まれ育った部落ではなくても、島に来れることが喜びらしい。そして、元島民の高齢化も進んでいるから、みんな「行ける時に行っておかないと!」という思いが強いようだ。

慰霊祭の後、お年寄りや長く島にいるのが辛い方、早く船に帰りたい方を先に本船へ返すことになった。

12時30分 ポンキナシリへ向けて少数で散策開始。
海岸線を歩き、陸路でポンキナシリを目指した。

途中赤煉瓦がいくつも落ちているところがあった。
ロシア人が使っていた硫黄を溶かすための炉が日本製のレンガで作られたものだったらしい。日本製のレンガには刻印が入っていたそうだ。

12時45分 高台に鉄製の建造物の残骸を発見。橋の跡か?

13時00分 岸壁に銃痕を発見。

13時03分 ポンキナシリ到着。

ロシア人ハンターの話

クマの油は火傷によく効くらしい。
ハンターのオーアさんは友だちが高温の野天に入ろうとしてお尻と金◯マを火傷したとき、オーアさんは急いでクマを撃ちに行き、2日かけてクマを仕留めてその油で友だちの火傷を治したらしい。
タバコの吸いすぎや喘息などで咳がひどい時もこの油を飲むと良くなるそうだ。ロシア人の話は嘘みたいに豪快だ。

この辺の浜では、満潮時には浜にシャチが上がってきてアザラシを食べるらしい。

13時50分 撤収
14時00分 えとぴりかⅡに乗船。本船へ帰還。

帰りは空が曇っていて、風も少し冷たく、寒く感じた。

帰船

えとぴりか本船に乗り移ってすぐに入り口のところで靴を洗わされた。

一旦部屋に戻り、着替えて洗濯へ向かった。船内にはランドリールームがあり、洗濯も乾燥もできる。

部屋に戻るとすぐ、父がブリッジに呼ばれた。なにやら緊急の会議が行われるようだった。

部屋で昼寝をしていると父が戻ってきて「洗濯中止!これこら中野コタンに上陸するかも!」と言った。翌日の天気が悪い予報らしく、晴れているうちに翌日上陸予定だった中野コタンにも上陸してしまおうという作戦になったらしい。

正直かなりめんどくさかったし疲れていたけど、めったに来れる場所じゃないので渋々洗濯待ちをしていた衣類を取りに行き、服を着替え直して部屋で待機した。

すると今度はスタッフの人が来て、「今えとぴりかⅡの先見隊から連絡があって、うねりが1m以上あって今日は上陸できないそうです。」と言われた。

また着替えて洗濯に向かった。
そして風呂に入り、部屋に戻って父とビールを飲んだ。
何杯かビールを飲んでからデッキに出てみると島が見えた。

海を見ているとピョンピョンと何かが飛び跳ねているのが見えた。カマイルカというイルカらしい。背びれがカマのような形をしている小さなイルカだ。デッキの反対側の海にはミンククジラがいた。

僕はまた部屋に戻って昼寝をした。とにかくやることがない。

17時30分 夕食の準備を知らせる放送が鳴った。
夕食は紅鮭と串カツとそうめん。

夕食後、部屋に戻ってまたビールを飲んで寝た。

2日が終了。
最後までお読みいただきありがとうございました。
次回【北方領土自由訪問3日目】につづく…

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